忘年会シーズンに「カラオケDJ」という提案 by Shotaro Uehara

DJの練習をはじめてから3年が経つ。

 

といっても、ホームパーティー的な場所でしかプレイしたことがないし、高い機材もいまだに買わずに「PC+DJコントローラー」という装備なので、”にわか中のにわか”である。

 

ただ、そんな僕でも自信があることがある。

 

「カラオケDJ」という遊び方を思いついたのだ。

 

「カラオケDJ」とは「DJしながらみんなで歌う」ことではない。

 

「カラオケルームの音響の配線をいじり、部屋のスピーカーを使ってDJをすること」だ。

 

思いついたのは2年前。

 

音響、ホスピタリテイともに国内最強のカラオケ「カラオケベスト10 武蔵小山店」でいつもの仲間たちと、いつものカラオケに興じていた夜。

 

ふと思いつき、カラオケマシンの裏側を覗いてみると、おなじみの赤白端子のオーディオケーブルを発見したのだ。

 

「もしや、これを差し替えればスピーカーをHackできるのではないか?」と閃き、たまたま持っていた機材を繋いでみたところ、案の定、カラオケルームから音が出たのだ。

 

この感動は、エジソンが白熱電球に初めて光を灯した時に感じたものと同じだっただろう。

 

そこから仲間たちと夜な夜なカラオケルームでDJをして、聴きたい曲をかけ、お酒を飲みながら踊る習慣が生まれた。

 

カラオケDJというアイデアが優れている点は、いくつもある。

 

1つ目。完全なプライベート空間なのだ。クラブに行けば知らない怖いお兄ちゃんやお姉ちゃんがいるものだが、カラオケDJには気を許した仲間しかいない。

 

2つ目。へたくそDJでも許される。DJの練習しはじめの頃は、自宅ではなかなか大きな音が出せないし、かと言っていきなり箱でプレイするほどの力量はないものだ。しかし、カラオケDJなら、どれだけしくじっても友達が笑って許してくれる温室栽培なのだ。

 

3つ目。安く済む。クラブに行けば、エントランスでお金がかかったり、ドリンクも値が張るものばかりだが、カラオケDJなら部屋代だけで済むのだ。「カラオケベスト10」は夜でも10分100円だ。1時間いても一人600円で済む。経済的だ。

 

カラオケDJへの想いをかきはじめるとキリがないのだが、実は僕と同じ時期に、カラオケDJをはじめた人がいる。

 

それはサカナクションの山口一郎さんだ。

 

まさに僕がカラオケDJをひらめいた同時期にこんなイベントを開催しているのだ。


サカナクション山口一郎、カラオケ館ジャック 音楽業界の未来を語る


奇跡的な偶然だ。僕は一方的に「同志」だと思っている。

 

最後に彼の名言を紹介して終わろう。


インタビュアー:クラブを営業する場合は、風俗営業法の許可をとらないといけない。一方、カラオケ店は必要ありません。カラオケ店でクラブイベントをやってしまうというのは、硬直化した法制度を揺さぶり、攪乱するような試みで興味深いです。
 
山口一郎さん:完全に汽水域(河川などで淡水と海水が混ざり合う水域)ですよね。音楽ビジネス的な観点からすると、CDやレンタルの売り上げが年々減少するなかで、カラオケは伸びている。音楽を好きな人の発散の場として大衆化されているし、生活の一部になっていると思います。面白いですね。

 

試したくなった人はカラオケへGO。お店によっては音響配線いじることが禁止されてることもある。いい大人のみなさんは、くれぐれも自己責任で。

数字で見るWebマガジン「greenz.jp」の寄付事業 by Shotaro Uehara

たまには仕事の話をば。

 

誰でも無料で読めるWebマガジン「greenz.jp」が「読者から寄付をいただいて、メディア運営を支えてもらおう」という奇妙なチャレンジを始めたのは2013年2月。

 

2006年7月のメディア創刊から6年半後の決断。法人形態も、わざわざ株式会社からNPOに鞍替え。知る人は知っているが、greenz.jpのメディア運営は、経営的にも仕組み的にも"大きな"試行錯誤のもとに成り立っているのだ。

 

僕が寄付事業の担当スタッフとしてジョインしたのは2014年10月。気づけば丸3年も経った。

 

(勘違いされてる方も多いかもしれないが、僕の本職は「イベント屋さん」ではなく「寄付集め屋さん」ですw)

 

最近、イベントやセミナーで「Webマガジンの寄付事業」の紹介をさせていただく機会も増え、そこそこ驚きを持って聞いてくださる手応えも感じている。

 

ということで、本日はWebマガジン「greenz.jp」の寄付会員事業を「数字」で紹介してみようと思う。


まずは簡単な説明。

greenz.jpの寄付会員事業は「greenz people」というタイトルでやっている。記事や連載の制作のために毎月1,000円を寄付いただく読者を募っている。そして、僕たちはそんなありがたい寄付読者の皆さんを、愛を込めて「ピープル」と呼んでいる。またNPOにとっての寄付事業は、収益事業とは異なり、法人税などの課税対象にはなりません。そのためいただいた寄付金を自分たちの事業にそのまま活用することができます。


会員数は「855」名。

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2013年2月の開始から、じわじわではありますが、着実に会員数は増えている。先月末時点で855名。「1000」名の大台も見えてきた!


寄付金額は毎月「829,000」円。

「月会費×会員数」の金額は80万を超えました。年間でいうと1000万円弱ですね。厳密にいうと、決済システムの手数料や、残高不足や有効期限切れでクレカ決済できないケースがあるので、グリーンズの口座に振り込まれる金額はこれの8掛けくらいなのですが。

 

ちなみに、金額と人数の内訳はこんな感じ。

月 3000円:7 名
月 2000円:13 名
月 1000円:727 名
月 750円:4 名
月 500円:104 名

補足:2013/2〜2014/12までは「年会費6,000/9,000円」で募っていたのですが、2015年から「月会費1,000円」で新規入会受付に切り替えています。そのため会員の中には月額500円、750円で継続してくださっている方も含まれておるのです。


寄付を原資に制作した記事は「122」本

直近1年でgreenz.jp上で公開された記事は「346本」なのですが、35%にあたる「122本」が寄付をもとに制作した記事です。ライターさんの原稿料+取材経費、エディターさんの校正費などに寄付が充てられております。ピープルの皆さんの寄付なしには、メディア運営できないほどになっています。


というわけで、数字としてご紹介できることはこんなところでしょうか。最後に強調したいのは、これが「有料サービスの会員」ではないということです。NPO法人グリーンズ/greenz.jpの「ほしい未来は、つくろう。」という呼びかけに共感し、応援してくださる読者のあたたかいサポート(寄付)なのです。

 

改めて、日頃からサポートしてくださっているピープルの皆さんに感謝です。そして、一緒に育てているチームのみんな、決済システムやマーケティングの部分でお世話になっているnDのサーファーエンジニア宮本くんにも大感謝。

 

「数字」だけではない取り組みもたくさんしているのですが、その話はまた今度。

 

p.s. greenz people気になる人は入会してね◎ 研究対象としても大歓迎です。greenz peopleの取組みに関する講演や勉強会にも気軽にお声掛けくださいませ!

https://people.greenz.jp/

お家のでんきを変えた話 by Shotaro Uehara

そう、「でんき」を変えたのです。

 

この秋に、家の契約電力会社を「東京電力」から「自然電力」に切り替えた。

 

最近はTVCMや車内広告も多く、知ってる人も増えてるかもしれないけど、「家庭の電気をどこから買うのか決められる」のだ。

 

ENEOSでんき、東急でんき、ソフトバンクでんき、などなど選択肢はたくさんある。

 

感覚的にいえば「スマホのキャリア/SIM選び」に似てるかもしれない。自分の好みの料金や契約内容を探して、切り替える。

 

一方で、スマホのキャリア乗り換えとの違いと言えば「質は均一」だということ。キャリアを乗り換えると通信速度などの「差」があるのだが、電力会社は乗り換えたからといって電力の供給量が落ちたりすることはない。

 

2016年に始まった電力小売り自由化のおかげで、通信キャリアやインターネットのように、日々使うインフラを個人が選べるようになったのだ。

 

新電力各社ともに「今よりもお得に」が売り文句だが、今回、僕が選んだ「自然電力」はまったく「お得」ではない。

 

契約時にデポジット5000円を取られるばかりか、月々の電気料金も500円くらい値上がる。

 

家庭の経済的メリットだけ考えれば、不合理極まりない。

 

しかし、自然電力は「みんなで自然エネルギー100%の世界をつくる」ことを目指した電力会社だ。日本の各地に太陽光、風力、小水力発電所をつくって、その想いを実現しようとしている。

 

すこしばかり電気料金が上がったとしても、そのチャレンジに参加したいと思って切り替えたのだ。

 

greenz.jpでも彼らを応援する連載が始まっている。

 

ぼくは「脱原発!原発反対!」と声高に叫ぶタイプの人間ではないが「無い方がいいに決まってる」と思ってる。

 

 同時代で「大きな事件」を体験した人間として、子どもたちの世代にそのリスクを引き継ぐ理由はどこにもないように思う。

 

そうは言っても、3.11以来、これと言ってエネルギーに関して個人的なアクションが出来ていなかったことも事実だ。

 

我が家の電気を変えたくらいでは大海の一滴だろうけど、棺桶に入る直前まで支払うだろう電気代を、少しはマシな社会をつくるために払いたいのだ。

 

「”買う"は消費ではなく、未来への投資」と誰かが言ってたけど、いい言葉だ。

 

そんなわけで「自然電力のでんき 」に関心を持った人はサイトを覗いてみてね。

 

 あと、付け足すとするなら電力会社の切り替え手続きは実は超簡単です。スマホのキャリア乗り換えよりも簡単です。わざわざキャリアに「お別れの電話」をしなくて良くて、手元に電気料金の明細があれば、切り替え先の電力会社へのオンライン手続きだけで完了します。スムーズにいけば10分くらい。無知な僕は、配電盤操作とか電柱からの引き込みとかしなきゃいけないもんだと思ってた。笑

「どんな働き方?」より「どう社会に働く?」 by Shotaro Uehara

この数年、「働き方」というテーマのもとに、様々なメディアやイベントで議論がなされている。ひとくちに「働き方」といってもそこに含まれるキーワードは豊富で、長時間労働の是正、リモートワーク、副業、育児とのバランス、評価基準などさまざまな切り口がある。

 

昭和由来の就業規則で従業員のパフォーマンスが落ちるのならば、どんどん改善されるべきだと思う。

 

一方、一般的に議論されている多くの内容が「働き方の手法や形式」の話だ。どのくらいの時間を働くのか、どんな場所で働くのか、といったことだ。

 

以前から、働き方をテーマに話される時のアジェンダ自体に、そこはかとない薄さを感じていたのだが、そんなことをバチっと言い当ててくれたのがNueの松倉早星さんのブログだ。

 

「働き方」と聞くと、例えば朝6時に起きて、コーヒーを飲み、今日のタスクを把握して、仕事を開始し、夕方には家で子供と食事をとり、寝る前には勉強しますなんてことや、都会を離れ田舎で商いを行い、ゆったりとした時間と風景の中で働いてます、とか。そのどちらも働き方ではなく、スタイルの違いであって、働き方の本質はもっと手前にある気がしている。
 
僕たちが働くのは、社会にコミットするためである。自分が生み出せるもので誰かに利益をもたらし、自分にも見返りがある。それで飯を食い、子を育て、生きていく。大事なのは僕らが提供するものは「働き」であって、「方(かた)」は二の次である。方はあなたらしくあればいい。それでいい。むしろ、どう「社会に働くか」が重要だ。

引用:新しい働き方ってなんだろう。

 

「働く」と「社会」の関係を、気持ちよく表現してくれている。

 

「どう社会に働くか」というフレーズで思い出すのが、2010年頃の社会起業家&ソーシャルビジネスブームだ。

 

僕は当時、大学2年生の2回目をしていた頃。大事な試験の時間割を間違え留年して、失意のどん底にいるときに「社会起業家」という存在を知った。それは駒崎さんの本であり、週刊ダイヤモンドの特集だった。

 

それまで「働く」というのは「会社に就職して、定年まで会社に貢献する」ことだと思っていたのだが、そんな考え方が「どんがらがっしゃん」と音を立てて崩れる体験だった。

 

「働くということには、ミッションや解決すべき社会課題があるべきだ」というのが、当時の彼らが発信したメッセージだったと思う。

 

僕はそのままメッセージを受け取り、気づいたら二社目でNPOのフルタイムスタッフになり、3年が経っている。

 

そして今の時代、「社会に働く」ということは、個人でも企業内でも行いやすくなっていると思う。「社会起業家」は当時、カウンターカルチャーのような存在だったが、今ではもっとマイルドになってみんなのベースの考え方として浸透してきていると感じる。

 

「働き方改革」全盛の時代、「働く」ことのそもそもの意義について咀嚼し直すことも大切なのかもしれない。

脳みそ(心)を整えるために、体を整える。 by Shotaro Uehara

マインドフルネス、瞑想といったキーワードが話題になって久しいですが、個人的には性に合わない。

 

落ち着きのない子どもとして育ってきた僕は、数分間の沈黙がなかなか我慢できず、習慣にならない。

 

しかし、ストレス社会で生きる人間として、常に心は整えていたいと思う。

 

「心を整える」って表現はなかなか抽象的だが、僕なりには「脳みそを整える」ということで勝手に理解している。

 

目の前の問題に対して落ち着いて対処する指示を出すのは脳みそだし、目の前の人に優しくしようとする感情も脳みそが判断するもの。

 

だから「脳みその健康状態が良ければ、心も落ち着いてるし、日々健やかに過ごせるのでは?」と仮説を持っている。

 

そんな考えに至ったきっかけがこちらの本。

 

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脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方

 

すごいざっくり言えば、

 

アメリカのとある偏差値の高くない中学校で、授業前に毎朝、全校生徒にランニングをさせた。するとびっくり、全米トップクラスの偏差値を誇る学校になった。

 

という驚きのエピソードを皮切りに、脳の動きと有酸素運動の関係について、脳科学的に解説されている本だ。

 

いろんな脳科学の単語が出て来るので、細かい話は全く頭に入ってこないのだが(笑)、ものすごいざっくり言うと

 

有酸素運動すると脳みその血流が良くなり、いろんなものが分泌され、シナプスにとっていい感じの環境になる

 

ということだ。ちゃんと理解したい人は本を買って読みこんでほしいが「運動が脳にいい影響を与える」というのはなんとなく直感でも理解できる話かとは思う。

 

学習能力UPの話だけでなく、ストレスや抑うつに対しても脳みそ×有酸素運動の医学的効果が解説されてる。要は「脳のトラブルは運動で解決できる」ということだ。

 

そんな本に出会った今年の夏から、ダイエットも兼ねて、週1-2回のランニング&スイムをなんとか習慣にして励んでいる。

 

実は春頃に、自分の脳みそのパフォーマンスがガタッと落ちる経験をした。友達の名前のような固有名詞がまったく思い出せなくなるばかりか、伝えたいことがうまく言葉となって出てこない3日間があった。歳のせいもあるかもしれないが、仕事でいろんなことを考えすぎて脳みそがパンク気味だったのだと思う。

 

運動が習慣になってからは、脳みそのキレが良くなったと感じる。おかげで仕事中の作業効率は上がったし、一日通して頭がスッキリしている。イライラ&ザワザワもすることが減った気がする。そう、こうして落ち着いてブログも書けている。

 

プラシーボ効果なのかもしれないが、少なくとも確実に、春よりは脳みそが健康な状況であることは確かだ。

 

超ストレスフルな環境にいる経営者が、トライアスロンなどのハード系有酸素運動に取り組む理由はここにあるのかもしれない。

 

引き続き、脳みそを整えるために、運動していきたいと思う。

#正太郎のチーズバーガー探訪 by Shotaro Uehara

真面目なブログばかり書いててもすぐに飽きることは分かっているので、今日はチーズバーガーの話です。

 

添加物やピンクスライムなどの話題がお茶の間に登場していなかった子どもの頃。それはつまりマクドナルドを何にも考えずに"気持ちよく"食べれていた時代でもある。

 

無邪気なぼくは常にハッピーセットのチーズバーガーを頼んでいた。少し成長してからはダブルチーズバーガーを選んだ。

 

子どもの頃から、肉パティに溶けたチーズが乗っているというその事実だけで何か「有り難いもの」を感じていたのは、ぼくだけではないはず。

 

さすがにもうマクドナルドのチーズバーガーは食べないけど、そんな子どもの頃の思いが、20年の時を超えて噴出したのは11月の頭の出来事。

 

友人の山中康司と「スケボーを(久しぶりに)始めよう」ということで下手くそなりに駒沢公園のパークで練習した。

 

その帰り道にランチで立ち寄ったバーガーショップ「AS Classics Diner」で食べたチーズバーガーが美味すぎたのだ。

 

週末の混み合う時間帯、腕にタトゥーの強面の兄ちゃんたちが修行僧のようにパティを焼き、チーズを溶かし、バンズに挟み、繰り出してきたチーズバーガーが美味すぎたのだ。

 

「これ美味くない?」と3回くらいお互いに確認した。

 

そんなチーズバーガーに出くわし、子どもの頃のあの喜びが脳を駆け回り、スイッチが入ってしまったのだ。

 

この1ヶ月で10軒のチーズバーガーを食べ進めている。目指せ100軒。Instgramで随時更新しているので飯テロに遭いたい人はフォローしてみてください。

 

目標達成のためには目標管理をするのがビジネスマンの基本。都内を中心としたハンバーガー屋さんのリストも作成した。80軒くらいまとめてます。★レビューも併記。「このお店抜けてるよ!」みたいなタレコミ大歓迎です。

 

Google スプレッドシート:#正太郎のチーズバーガー探訪

 

「推しフード」なるものを自分で決めると出先のランチが楽しくなる。普段行かない路地に足を運ぶ機会にもなる。

 

ちなみにこの取り組みは「望月優大さんのカレー」や「ふじたくさんの麻婆豆腐」や「もりえちゃんの酒(これは毛色が違う)」に多大なる影響を受けてることも併せて記しておこう。

 

皆さんも「推しフード」を決めてみるのはどうですか?

そのトークイベントに「1時間」の価値はあるのか? by Shotaro Uehara

この3年くらいで、世の中ではトークイベントがとても多く開催されるようになったと感じる。肌感覚で3倍くらい。平日も週末も、いろんなテーマでいろんな場所で開催されている。

 

かく言うぼくも、仕事でもプライベートでもトークイベントを企画しているので「増やす側」にいることは間違いない。最近は「司会業」としてお仕事を頼まれることも増えてきた。

 

そしてもちろんのこと、トークイベントに一般参加者として会場にいることも多い。

 

トークイベントって、言ってしまえば「ゲストと司会がおしゃべりする時間」だ。

 

そして、当たり前の事実だが、目の前で繰り広げられるトークが「面白い時」と「つまらない時」がある。やってることがシンプルなだけに雲泥の差が出る。

 

しかも、用意された台本を読むわけではないので、その場の空気や、話の展開次第で内容が大きく変わる。後から映像編集ができるわけもなく、ライブ感溢れる「なまもの」だ。

 

参加者として「つまらない」トークイベントに出くわしたときの倦怠感と疲労感は相当なものだ。30分ならまだしも、長い時は90分もの時間、座っている椅子に拘束され、延々と一方的につまらない話を聞かされる。終わった後に「時間を返せ」と思うことも多々ある。

 

そんな時に思い出すのが、LINEの田端さんのコラム『映画監督はなぜ「偉い」と思われるのか?リニアにコンテンツを見てもらえることは今や凄い特権だ』。このコラムは

 

映画監督だけが、CMディレクターや、テレビドラマのディレクターにもないある種のリスペクトを社会から享受している理由は何でしょうか?

 

というお題を時間という視点で考察されているのだが、田端さんの見解はこんな感じ。

 

2時間という時間、お客さんを暗室に入れ、自分自身の「映像世界」を大音量とともに浴びせ続ける(中略)こういった「特権」を有している(時限付きの)独裁的表現者であるがゆえに、映画監督は特権的なクリエイターとして社会から認知され、尊敬を得ているのではないでしょうか。

 

このコラムを当時読んだ時、ひとりで唸った。

 

テレビ番組でも、YouTubeでも、基本的には視聴者に主権がある。つまらなければチャンネルを変えればいいし、好みじゃなければ次の動画を再生すればいいだけだ。

 

トークイベントも映画と似ていて、時間を拘束するタイプのコンテンツだ。主権は企画/司会側にある。

 

なんだったら参加費も、映画館に映画を観に行くチケット代と変わらないことも多い。

 

参加者の限りある時間を拘束するからこそ「そのトークイベントに1時間の価値があるのか」ということは、企画側や司会者はもっとちゃんと考えて、努力して、工夫したほうがいいというのが、最近の個人的な思いだ。

 

これを読みながら「偉そうなこと言ってるけど、お前のあのトークイベントつまらんかったぞ」と思う方がいたら、申し訳ない。笑 ぼくも司会をするたびに「今日はうまくいった」とか「今日はイマイチだった…」と一喜一憂しております。

 

試行錯誤を繰り返し、なんとなく見えてきたトークイベントをつまらないものにしないための僕なりのポイントはこの4つ。

 

・開始前に話の着地点(ゴール)をなんとなく想定しておく

・個別のゲストの魅力を引き出す問いを用意しておく

・参加者の関心と「同期」して司会がどんどん質問する

・参加者もトークに「参加」してもらえる仕組みを用意する

 

まぁ、ゲストの人数やなんかで大きく変わってくるんですが。。この話はまた今度。司会は難しいのです。

おれは 仙台生まれ 転勤族育ち クラスのやつは全員はじめまして。 by Shotaro Uehara

初めて出会った人に聞かれる「出身はどこ?」っていう質問に、けっこう困る。

その質問に意味どおり答えるのなら僕は「仙台出身」だ。仙台の動物園の近くの病院で生まれた。出産時「頭がでかいから」ということで掃除機みたいなもので吸い出されたらしいが、もちろん記憶はない。

そして、物心つくかつかないかくらいで仙台を離れる。3歳から小学校1年生までを青森で過ごし、小2は札幌、小3は仙台に戻ってきて、小4〜6の3年間は広島だ。中学・高校の6年間は名古屋で過ごし、大学入学とともに東京に引っ越し、10年が経った。

親父は大手メーカーの営業職だった。日本全国の営業所を「昇格」とともに飛び回る。親父が会社から「転勤だ、頼んだぞ」と言われるたびに、母親と一人っ子の僕は涙を飲んだ。そう、それがサラリーマン家庭ってもんだ。幼い頃から、我ながらよく理解していたと思う。

「出身はどこ?」という質問は「あなたの地域的なアイデンティはどこ?」という質問なのだろうが、僕の場合、そんな事情があり簡単には答えられない。仙台生まれ、転勤族育ちだ。

さて、転勤族で育つと、どういうことが起きるのか?

端的に言うと、大人になったときに「地元」と呼ばれるものが、ぽっかり存在しない。

夏になったら帰る場所、成人式を挙げる場所、幼馴染のいる場所。

そういったものが、転勤族で育つと、全くない。

もうちょっと硬い表現をすると、生まれたり育った地域と自分の関係性が極めて薄く「生まれた場所」ということだけで属するコミュニティもないのだ。

なんだか悲しい話になってきたのだけど、議題にあげたいのはそんな「転勤族」に生まれたからこそ育まれる人格の話だ。


会社員の「転勤」というのは、家族からすると「知らない土地にいきなりぶち込まれる」という表現でも言い換えられる。

僕は小学生時代に「転校してきたウエハラです。よろしくお願いします。」と3回も挨拶した。

転校初日、目の前の教室には、誰ひとりとして友達がいない状況。サッカーのアウェー戦でも観客を除けば選手は同数だというのに、転校の場合は30対1のキックオフだ。

「すでにそこにあるコミュニティになんとか溶け込まないと居場所がない」という状況を何度も経験した。そして、そのたびに乗り越えて、また僕が転校するという時には、少なくない友人が別れを惜しんでくれた。

ここまでを誰かに話すと「だからウエハラくんは、人とのコミュニケーションが上手なんだねぇ」と言われることがある。

嬉しい言葉だ。一方で、子供の頃からそのスキルを伸ばさないと、誰も友達のいない教室では生きていけなかった、という背景もある。

「コミュ力」というスキルを身につけさせてくれた「転校」という体験。

「また転校してみたい?」という質問が寄せられたのならば、ものすごく素早く、そして力強く答るだろう。「絶対にイヤ」だ。

いいことも多かったので、呪いたい過去とまでは思わないけど、あんなに骨の折れるコトは願わくばしたくないのだ。

おとなになった今でも無意識的に「どこかのコミュニティに新参者として混ざっていく」ということを強く避けている。僕にとってそれは「転校」と同じ体験なのだ。

その代わり「転校」とは真逆のアプローチである「自分のまわりにコミュニティをつくる」ということについては、人の1000倍くらい力を注げる。僕にとって、こんなに居心地のいいことはないのだ。88世代の集まりも、武蔵小山の集まりも、そういうモチベーションが源泉になっていると去年くらいに気づいた。

一度、そんな僕の日頃の取り組みに対して、友達に「病的なほどの情熱があるよな」と言われてハッとしたことがある。

でも、それこそが転勤族の家庭で育った植原正太郎の宿命なのだと思う。

みんなのまわりでも「こいつよく自分でコミュニティ(居場所)つくってるよなぁ」っていう友達は、転勤族育ちの可能性は高い。

転勤族育ちとコミュニティ屋さんの関係は、あまり語られていないので、どこかで同士と語ってみたいものだ。

ご飯とお喋りと、そこそこお酒。 by Shotaro Uehara

最近思うんだけど、みんな、ありきたりなトークイベントに飽きてると思う。一方的に話を聞くような(聞かされるような)イベントは、何かが生まれない感がすごい。

毎日、いたるところでメディアが立ちあがり、イベントも開催されている昨今。「情報」の価値は、そりゃ相対的に落ちるわよ、って思う。仕事でも趣味でもイベントを開催したり、登壇させてもらったりしている身としては、この状況をなんとか打破したいなと日々考えている。正直、僕も飽きている。だから、次の一手を考えている。

それで、最近始めたのが「green drinks 神宮前」というグリーンズのオフィスで毎週木曜日に開催するこじんまちとしたイベントだ。毎回10-15人くらいが参加してくださって、スタッフも参加者も関係なく、1つのテーマをもとに、和気あいあいとおしゃべりする。

昨日開催したのは「和歌山でこんばんは」という企画。「和歌山"勝手"観光大使」を名乗るgreenz peopleの高野さんが、和歌山は色川町の棚田米を土鍋で焚いて振る舞ってくれたり、その他にも梅干しや地ビールをはじめとした特産品に舌鼓を打ったのです。

なんというか「これだな」感があったイベントだった。美味しいご飯とお酒、そしてフラットなお喋りの場。

高い壇上から、一方的に意識の高い話をしなくても、参加者同士がお喋りしてるだけで、その場には学びと笑いが溢れる。そして、人と人のつながりも、しっかりと生まれる。それこそが何よりの「参加してよかった」というお土産ではなかろうか。

「つながり」の時代だとは言え、まだまだ「つながり」のデザインは工夫の余地があると思う。