働き方の話

PDCA回せる石の上で三年 by Shotaro Uehara

グリーンズにジョインして3年4ヶ月経った。

 

新卒で勤めた会社は2年半で卒業したので、社会人歴の中でもグリーンズが長い訳だ。

 

そしてここ最近、自分にできる仕事が増えているのを感じる。3年前に見えていた風景とはまったく違う。

 

丸3年間、様々な試行錯誤により、組織やステークホルダーへの解像度は上がり、社会から求められていることも把握でき、人間関係も豊かになり、自分の知見やノウハウも充実してきたということなのだろう。

 

3年という数字で思い出すのは

 

「石の上にも三年」

 

という諺だ。良いこと言ってる気もするけど、現代においてはピンボケ感もある。

 

Google先生にその意味を聞いてみると

 

『冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる。 がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ。』

 

とのことだ。色々ツッコミどころが多い。

 

「3年間、石に座り続けた人間がいる」という事実も怪しいし「お尻の体温で石が暖まる」って可愛いし「座り続けた先の成功」って何やねん。

 

まぁ、それはおいといて「3年」という時間についてはなんとなくうなづけるのだが、「我慢強く辛抱すれば成功する」というのが納得いかない。

 

この表現からはなんとなく年功序列型社会の香りがするし、パワハラ先輩の気配を感じる。(穿ち過ぎ?)

 

現代において「辛い中でも我慢し続ける」という処方箋の効能はほとんどないだろう。

 

これだけ職についての選択の自由が許される時代においては「我慢する」ことよりも、自分のフィールドでチャレンジして「PDCAを回す」ことの方がよっぽど成功に繋がるのではなかろうか。

 

自分の頭で考えて、実行して、失敗して、たまには成功して、次のアクションに活かす。

 

この試行錯誤のループを回せる職場であり、ポジションであり、業界にいることが、大事だ。同じ3年でも成長の質が大きく異なる。

 

だから現代的には、ただただ鎮座できる石を探すのではなく、自分でPDCAを回せる石の上を探すべきだと思う。

 

(書き終わって思うのは、諺を引き合いにして書くブログはおっさん臭いね)

後輩を育てたいなら「機会提供とサポート」おじさんになろう by Shotaro Uehara

30歳を目前に控え、仕事においても自分のことばっかり考えてればいいという感じでもなくなってきた。

 

そう、後輩を育てるという重要なミッションが芽生えてきたのである。

 

 

「後輩/部下を育成する」というテーマにおいては、それぞれに持論があることだろうが、僕は「機会提供とサポート」が全てだと思っている。

 

後輩がのびのびとチャレンジできる機会を提供しつつ、彼らが目標達成のために現時点では足りない知識やスキルを、先輩が必要に応じてサポートしていく。

 

そういう「機会提供とサポート」に注力していれば、自ずと後輩は育つものだと思っている。

 

 

日本的な慣習で「人は怒られたり、ビシバシしごかれるから成長する」という考え方もある。

 

全てを否定するつもりはないが、見誤っている部分は大きいと思う。

 

 

人が成長するのは「学習する」からである。

 

学習するというのは、自分の脳みそで考えて、自分の身体を使った時に、はじめて達成できる。

 

自分の中での試行錯誤なしに学習は成り立たない。

 

学習することで、次のチャレンジに取り組むことができ、新しい学習ができるのだ。

 

 

前述の不用意な厳しい指導の無意味さを例えるなら、子供がチャリンコの乗り方を学ぶのに、親が乗り方の作法や姿勢を厳しく叱責して、萎縮してしまう状況だろう。

 

これでは気持ちよくチャレンジできなくなるので、いつになっても乗れるようにならない。

 

 

それよりも、親は子供を広い公園に連れて行って、どんだけでも転べる環境を用意し、たまに「目線は前に送るんだよ」と一言アドバイスして、あとは自由にやらせておけば、勝手に乗れるようになるというものだ。

 

 

30歳手前にしてそんなことを思うのは、自分自身が「成長した」と手応えが感じられる過去の経験は、だいたいにして先輩から「機会提供とサポート」をもらったことに基づいてると気づいたからだ。

 

 

その話をすると思い入れが強くなって長くなるので今回は省くが、僕が若かりし頃にお世話になった「機会提供とサポート」おじさんを感謝の気持ちを込めて記しておきたい。

 

イケダハヤトさん、モリジュンヤさん、ETIC. 内野夫妻、日本ブラインドサッカー協会 松崎英吾さん、前職社長 池田紀行さん。

 

 

彼らにいただいた機会提供とサポートの分だけ、自分の後輩に返していきたいと思う30歳手前のおじさんなのでした。

「どんな働き方?」より「どう社会に働く?」 by Shotaro Uehara

この数年、「働き方」というテーマのもとに、様々なメディアやイベントで議論がなされている。ひとくちに「働き方」といってもそこに含まれるキーワードは豊富で、長時間労働の是正、リモートワーク、副業、育児とのバランス、評価基準などさまざまな切り口がある。

 

昭和由来の就業規則で従業員のパフォーマンスが落ちるのならば、どんどん改善されるべきだと思う。

 

一方、一般的に議論されている多くの内容が「働き方の手法や形式」の話だ。どのくらいの時間を働くのか、どんな場所で働くのか、といったことだ。

 

以前から、働き方をテーマに話される時のアジェンダ自体に、そこはかとない薄さを感じていたのだが、そんなことをバチっと言い当ててくれたのがNueの松倉早星さんのブログだ。

 

「働き方」と聞くと、例えば朝6時に起きて、コーヒーを飲み、今日のタスクを把握して、仕事を開始し、夕方には家で子供と食事をとり、寝る前には勉強しますなんてことや、都会を離れ田舎で商いを行い、ゆったりとした時間と風景の中で働いてます、とか。そのどちらも働き方ではなく、スタイルの違いであって、働き方の本質はもっと手前にある気がしている。
 
僕たちが働くのは、社会にコミットするためである。自分が生み出せるもので誰かに利益をもたらし、自分にも見返りがある。それで飯を食い、子を育て、生きていく。大事なのは僕らが提供するものは「働き」であって、「方(かた)」は二の次である。方はあなたらしくあればいい。それでいい。むしろ、どう「社会に働くか」が重要だ。

引用:新しい働き方ってなんだろう。

 

「働く」と「社会」の関係を、気持ちよく表現してくれている。

 

「どう社会に働くか」というフレーズで思い出すのが、2010年頃の社会起業家&ソーシャルビジネスブームだ。

 

僕は当時、大学2年生の2回目をしていた頃。大事な試験の時間割を間違え留年して、失意のどん底にいるときに「社会起業家」という存在を知った。それは駒崎さんの本であり、週刊ダイヤモンドの特集だった。

 

それまで「働く」というのは「会社に就職して、定年まで会社に貢献する」ことだと思っていたのだが、そんな考え方が「どんがらがっしゃん」と音を立てて崩れる体験だった。

 

「働くということには、ミッションや解決すべき社会課題があるべきだ」というのが、当時の彼らが発信したメッセージだったと思う。

 

僕はそのままメッセージを受け取り、気づいたら二社目でNPOのフルタイムスタッフになり、3年が経っている。

 

そして今の時代、「社会に働く」ということは、個人でも企業内でも行いやすくなっていると思う。「社会起業家」は当時、カウンターカルチャーのような存在だったが、今ではもっとマイルドになってみんなのベースの考え方として浸透してきていると感じる。

 

「働き方改革」全盛の時代、「働く」ことのそもそもの意義について咀嚼し直すことも大切なのかもしれない。