イベントの話

そのトークイベントに「1時間」の価値はあるのか? by Shotaro Uehara

この3年くらいで、世の中ではトークイベントがとても多く開催されるようになったと感じる。肌感覚で3倍くらい。平日も週末も、いろんなテーマでいろんな場所で開催されている。

 

かく言うぼくも、仕事でもプライベートでもトークイベントを企画しているので「増やす側」にいることは間違いない。最近は「司会業」としてお仕事を頼まれることも増えてきた。

 

そしてもちろんのこと、トークイベントに一般参加者として会場にいることも多い。

 

トークイベントって、言ってしまえば「ゲストと司会がおしゃべりする時間」だ。

 

そして、当たり前の事実だが、目の前で繰り広げられるトークが「面白い時」と「つまらない時」がある。やってることがシンプルなだけに雲泥の差が出る。

 

しかも、用意された台本を読むわけではないので、その場の空気や、話の展開次第で内容が大きく変わる。後から映像編集ができるわけもなく、ライブ感溢れる「なまもの」だ。

 

参加者として「つまらない」トークイベントに出くわしたときの倦怠感と疲労感は相当なものだ。30分ならまだしも、長い時は90分もの時間、座っている椅子に拘束され、延々と一方的につまらない話を聞かされる。終わった後に「時間を返せ」と思うことも多々ある。

 

そんな時に思い出すのが、LINEの田端さんのコラム『映画監督はなぜ「偉い」と思われるのか?リニアにコンテンツを見てもらえることは今や凄い特権だ』。このコラムは

 

映画監督だけが、CMディレクターや、テレビドラマのディレクターにもないある種のリスペクトを社会から享受している理由は何でしょうか?

 

というお題を時間という視点で考察されているのだが、田端さんの見解はこんな感じ。

 

2時間という時間、お客さんを暗室に入れ、自分自身の「映像世界」を大音量とともに浴びせ続ける(中略)こういった「特権」を有している(時限付きの)独裁的表現者であるがゆえに、映画監督は特権的なクリエイターとして社会から認知され、尊敬を得ているのではないでしょうか。

 

このコラムを当時読んだ時、ひとりで唸った。

 

テレビ番組でも、YouTubeでも、基本的には視聴者に主権がある。つまらなければチャンネルを変えればいいし、好みじゃなければ次の動画を再生すればいいだけだ。

 

トークイベントも映画と似ていて、時間を拘束するタイプのコンテンツだ。主権は企画/司会側にある。

 

なんだったら参加費も、映画館に映画を観に行くチケット代と変わらないことも多い。

 

参加者の限りある時間を拘束するからこそ「そのトークイベントに1時間の価値があるのか」ということは、企画側や司会者はもっとちゃんと考えて、努力して、工夫したほうがいいというのが、最近の個人的な思いだ。

 

これを読みながら「偉そうなこと言ってるけど、お前のあのトークイベントつまらんかったぞ」と思う方がいたら、申し訳ない。笑 ぼくも司会をするたびに「今日はうまくいった」とか「今日はイマイチだった…」と一喜一憂しております。

 

試行錯誤を繰り返し、なんとなく見えてきたトークイベントをつまらないものにしないための僕なりのポイントはこの4つ。

 

・開始前に話の着地点(ゴール)をなんとなく想定しておく

・個別のゲストの魅力を引き出す問いを用意しておく

・参加者の関心と「同期」して司会がどんどん質問する

・参加者もトークに「参加」してもらえる仕組みを用意する

 

まぁ、ゲストの人数やなんかで大きく変わってくるんですが。。この話はまた今度。司会は難しいのです。

ご飯とお喋りと、そこそこお酒。 by Shotaro Uehara

最近思うんだけど、みんな、ありきたりなトークイベントに飽きてると思う。一方的に話を聞くような(聞かされるような)イベントは、何かが生まれない感がすごい。

毎日、いたるところでメディアが立ちあがり、イベントも開催されている昨今。「情報」の価値は、そりゃ相対的に落ちるわよ、って思う。仕事でも趣味でもイベントを開催したり、登壇させてもらったりしている身としては、この状況をなんとか打破したいなと日々考えている。正直、僕も飽きている。だから、次の一手を考えている。

それで、最近始めたのが「green drinks 神宮前」というグリーンズのオフィスで毎週木曜日に開催するこじんまちとしたイベントだ。毎回10-15人くらいが参加してくださって、スタッフも参加者も関係なく、1つのテーマをもとに、和気あいあいとおしゃべりする。

昨日開催したのは「和歌山でこんばんは」という企画。「和歌山"勝手"観光大使」を名乗るgreenz peopleの高野さんが、和歌山は色川町の棚田米を土鍋で焚いて振る舞ってくれたり、その他にも梅干しや地ビールをはじめとした特産品に舌鼓を打ったのです。

なんというか「これだな」感があったイベントだった。美味しいご飯とお酒、そしてフラットなお喋りの場。

高い壇上から、一方的に意識の高い話をしなくても、参加者同士がお喋りしてるだけで、その場には学びと笑いが溢れる。そして、人と人のつながりも、しっかりと生まれる。それこそが何よりの「参加してよかった」というお土産ではなかろうか。

「つながり」の時代だとは言え、まだまだ「つながり」のデザインは工夫の余地があると思う。