よもやま話

ご縁に感謝しない人は誤嚥しましょう by Shotaro Uehara

日々暮らしていると「自分って心狭いな」って思うことがある。広い心では許せない出来事がたまに起こる。

 

その多くは他人の些細な振る舞いが起因になっている。

 

僕がなかなか許せない他人の振る舞いは3つあるのだが、その1つは「ご縁に感謝しない」振る舞いだ。

 

こんな仕事をしてると交友関係も広いので「うえはらくん、あの人紹介してほしいんだけど!繋がってるんでしょ?」と相談を受けることがある。

 

僕を信頼して相談してくれること自体は大変嬉しいことだ。訳わかんない内容じゃない限り、その人の力になれればと紹介して繋ぐこともする。良いご縁になれば、という一心しかない。

 

だが、問題はこのあと発生する。

 

繋いだあとに、一切音沙汰が無いのだ。

 

「そのあとどうなったのかしら」と結果が気になる。

 

「紹介をきっかけになにか粗相が起きなかっただろうか?」と要らぬ心配もする。

 

しかし、こちらから連絡するのも何かお門違いな気がするので、ひたすらヤキモキするしかない。

 

結局、何も連絡がなく未解決事件のままXファイル入りすることも多い。

 

そんなことを何件か繰り返した結果、僕はこういう事案については根に持つ人間だということが分かった。申し訳ないが、絶対に忘れない(笑)

 

「二度と人を紹介してやらん」と心に固く誓う。

 

「人を紹介してもらう」ということは「紹介者の信頼を借りる」ということだ。

 

無形だからって「タダ」ではない。信頼という通貨を借りるようなものだ。

 

関係を築くということに、時間と努力を重ねている。

 

それをファストフードのようにパクパク食べて「ご馳走さま」も無いのだ。そりゃ怒るでしかし。

 

僕が求めているのはお礼のお中元でもお歳暮でもない。

 

「紹介してくれてありがとう。」の事後報告の一言だ。

 

別に話が実らなくてもいい。取り立てて共有すべき事柄がなくてもいい。

 

ご縁に敬意を払って、ちゃんと感謝してくれさえすれば安心して眠れる。

 

嗚呼、ここまで書きつつ、自分も色んなご縁の中に生きていることを振り返る。誤嚥しないように気をつけて生きたい。

どうぶつの森が理解できない男子 by Shotaro Uehara

アプリゲームになって再ブレイクを果たしているどうぶつの森。

 

最近は、電車内の女性のスマホをちらっと横目に見るとプレイしている人が多くいる。そして、我が妻も熱心に取り組んでいる。

 

キャンプ場の動物たちにこまめに話しかけて、他愛のない会話をして、備品を拡充して、みんなに居心地のいい場所をつくる。

 

今も昔もどうぶつの森は、究極の平和ゲームなのである。穏やかな日常を大切にしながら暮らすのだ。

 

頭では分かる。

 

しかし、男子には心で理解ができない。

 

僕がゲームに対して思った要望にも近い疑問はいくつもある。

 

天変地異の災害で未曾有の大惨事引き起こせよ?

 

キャンプ場ならゾンビが群れをなして来いよ?

 

酒池肉林の宴でロマン見せてくれよ?

 

森の中で武術を磨いて格闘させてくれよ?

 

権謀術数の策略で覇権争いさせてくれよ?

 

今後、どうぶつの森がどれだけアップデートされようが、上記の仕様が盛り込まれることは永久にないだろう。男子の声は任天堂に届かない。

 

妻が嬉々としてキャンプ場設営に力を注いでいるのを見ながら思い出したことがある。

 

「ゴレンジャーとシルバニアファミリー問題」である。

 

子供の頃から、女子にはゴレンジャーは理解できないし、男子にはシルバニアファミリーが理解できない。

 

親から教育された覚えはないのだが、お互いが、お互いに熱中するものの楽しさがわからないのだ。

 

この問題について2年前くらいに真面目に考えたのだが、やはり古代から引き継がれ、プリインストールされている男女の性格があるという結論に至った。

 

氷河期時代、男衆はマンモスを狩りに行き、女衆は村で子供を育て村を守っていた。それが、その時代の男女の役割。

 

噛み砕けば、男子は問題解決、女子は和平維持がもともと得意なのだろうと思う。

 

どうぶつの森から、だんだんと話が壮大になってしまったが、僕が言いたいのは「男は稼いで、女は家を守ろう」みたいな前時代的な話ではなく、これからの時代は、男女の互いの特性を理解して、社会をつくるべきではないかという話だ。

 

そう、特に男子が。「男子が女子を理解する」ことについては、大変長らくおざなりにされていることだと思っている。女性達は男性的な振る舞いをしてくれているが。

 

世の中のあらゆる社会問題/国際問題を引き起こしてるのは男子だと思う。男子の問題解決が、新しい問題を生んでいるとすら思う。

 

これからは「女子が男性的な振る舞いで社会に参加する」という時代から、「男子が女性的な振る舞いで社会に参加する」ということが求められていると思う。社会の未開拓領域だ。

 

大事にすべきは、対話であり、コミュニケーションであり、感情であり、和平であり。

 

話が長くなってしまったので、今日はここまで。

 

まぁ、言うは易しでございまして、週末も妻のウェディングドレス選びに付き合ったのですが、相手の気持ちを慮らない不用意な発言を2度もして機嫌を損ねさせたのは私です。難しいね!

 

まずは、どうぶつの森をインストールするところからやり直したいと思います。

人が習慣をつくり、習慣が人をつくる by Shotaro Uehara

高校時代に先生から教えられたコトはだいたい忘れるが、一部のコトは大人になってからふと思い出し「いいコト言ってんな」となることがある。

 

数学の田口先生が教室の壁に張り出していた家訓のような言葉

 

「人が習慣をつくり、習慣が人をつくる」

 

30歳を手前にして、反芻するに値する言葉だなと気づいた。

 

当時、この言葉は「勉強習慣をつくれ」という程度のメッセージに捉えていたが、もっと深い意義があるように思う。

 

20代前半の「勢い」だけで乗り切れる時期を終えて、いま最も関心が高いことは「毎日ムラなくパフォーマンスを出すこと」だ。

 

1DAYしかもたない120%のパフォーマンスも、ALL DAY続く80%のパフォーマンスがほしい。

 

そのためには、日々のモチベーションや体調を自らコントロールする必要がある。

 

しかし、意思だけでコントロールするのは難しいものだ。

 

最近分かったのは、自己コントロールのために「習慣」というソリューションがあるのだと。

 

習慣というのは「日常の決まりきった行い」とWikipedia先生が言っている。

 

この決まり切った行いによって、頑張り過ぎや、頑張らなさ過ぎを是正することができると思う。

 

去年の春くらいからそんなことを意識して、自分自身で習慣化できたものにはこんなものがある。

 

・帰宅後、家では一切仕事をしない(職場で終わらす)

 

・4-5kmのランニングを週2回

 

・500-700mのスイムを週1回

 

・毎朝ナチュレヨーグルト食べる

 

・毎朝自重トレーニングする(腕立て100 腹筋120 スクワット60)

 

・冬は銭湯に週2回行って交互浴

 

・寝る前に水たくさん飲む

 

・寝る前にストレッチ

 

・電車に乗ったらブログ書く

 

全体的に健康オタクっぽい習慣になってしまったが、おかげさまで毎日体調がいいし、いまだに風邪も引いていないし、毎日脳も冴えてるし、仕事にも暮らしにもパフォーマンスを発揮できている。

 

この調子でいけば、今年はなかなか充実する気がする。そして、もうひとまわり成長できるだろう。

 

「人が習慣をつくり、習慣が人をつくる」

 

今年は、習慣オタクとして、マイ習慣をどんどんアップデートしていこうと思う。

SNS時代の縁結びの難しさ by Shotaro Uehara

SNSのおかげでこれだけ人が繋がるようになったのに、なぜ「周りにいい人がいない」という問題が立ち上がるのか。

 

僕たちは、親の世代と比べれば、圧倒的に交流する人の量が多いはずだ。

 

なのに、恋愛したり結婚したりするのに「周りにいい人がいない」という現象が起きる。

 

この状況は俯瞰的に見れば、不思議な話だ。

 

例えるなら、森の中にどんぐりがたくさん落ちてるのに「どんぐりが無い!」と叫んでるリスのようだ。

 

しかし、状況や現象には必ず理由があるはず。

 

今日は、僕がなんとなく思っている仮説を話したいと思う。

 

 

まず「いい人」という曖昧な表現の定義から始めなくてはならない。

 

今も昔も「いい人」というのは「ピタッと来る人」のことを指すのだと思う。

 

馬が合う、フィーリングが合う、気になるポイントが似てる、趣味が近い...etc

 

今も昔も、そんな「いい人」を探しているはずだ。

 

 

ただ、今と昔で大きく違うのは「価値観の多様性」だろう。

 

親の世代と言えば、テレビ全盛期。社会全体として画一的な"憧れ"があった時代だ。

 

みなさんの両親ともに若かりし頃はもれなく、父親は七三分け、母親は聖子ちゃんカットを施していたはずだ。

 

そして、ファッションだけでなく、理想の暮らしも画一的だった。

 

経済成長の中で安定した企業に入り、子育てして、家買って、定年まで働いて、退職後は年金で悠々自適な暮らし。

 

つまり、親の世代は「こんな生き方、暮らし方がいいな」という価値観が、万人でなんとなく合意されていた時代だ。

 

それが、かつての一億総中流社会。

 

 

しかしながら現代は、登り調子な社会ではないので、画一的な理想が保障されるわけもない。

 

だからこそ、みんなそれぞれに働き方や暮らしを模索し、それぞれに価値観を育てている。

 

そして、それに拍車をかけるように、インターネットやSNSの普及のお陰で、多様な価値観が認められる環境がある。

 

そう現代は、社会で生きていくために、一人一人が拠り所とする価値観があるのだ。

 

 

そんな状況の中で「いい人=ぴったり来る人」を探すというのは難儀なものだ。

 

価値観が普遍的な時代は、誰かが勝手に引き合わせる「お見合い」という画期的ソリューションがあった。

 

現代では、お見合いでぴったり来る相手が見つかるなんて、1km先の針の穴に投げた糸を通すようなものだと思う。

 

 

そんな時代に生まれ育った僕たちは、どうやったら「いい人」に巡り会えるのか。

 

この問いの方がよっぽど難しい。

忘年会シーズンに「カラオケDJ」という提案 by Shotaro Uehara

DJの練習をはじめてから3年が経つ。

 

といっても、ホームパーティー的な場所でしかプレイしたことがないし、高い機材もいまだに買わずに「PC+DJコントローラー」という装備なので、”にわか中のにわか”である。

 

ただ、そんな僕でも自信があることがある。

 

「カラオケDJ」という遊び方を思いついたのだ。

 

「カラオケDJ」とは「DJしながらみんなで歌う」ことではない。

 

「カラオケルームの音響の配線をいじり、部屋のスピーカーを使ってDJをすること」だ。

 

思いついたのは2年前。

 

音響、ホスピタリテイともに国内最強のカラオケ「カラオケベスト10 武蔵小山店」でいつもの仲間たちと、いつものカラオケに興じていた夜。

 

ふと思いつき、カラオケマシンの裏側を覗いてみると、おなじみの赤白端子のオーディオケーブルを発見したのだ。

 

「もしや、これを差し替えればスピーカーをHackできるのではないか?」と閃き、たまたま持っていた機材を繋いでみたところ、案の定、カラオケルームから音が出たのだ。

 

この感動は、エジソンが白熱電球に初めて光を灯した時に感じたものと同じだっただろう。

 

そこから仲間たちと夜な夜なカラオケルームでDJをして、聴きたい曲をかけ、お酒を飲みながら踊る習慣が生まれた。

 

カラオケDJというアイデアが優れている点は、いくつもある。

 

1つ目。完全なプライベート空間なのだ。クラブに行けば知らない怖いお兄ちゃんやお姉ちゃんがいるものだが、カラオケDJには気を許した仲間しかいない。

 

2つ目。へたくそDJでも許される。DJの練習しはじめの頃は、自宅ではなかなか大きな音が出せないし、かと言っていきなり箱でプレイするほどの力量はないものだ。しかし、カラオケDJなら、どれだけしくじっても友達が笑って許してくれる温室栽培なのだ。

 

3つ目。安く済む。クラブに行けば、エントランスでお金がかかったり、ドリンクも値が張るものばかりだが、カラオケDJなら部屋代だけで済むのだ。「カラオケベスト10」は夜でも10分100円だ。1時間いても一人600円で済む。経済的だ。

 

カラオケDJへの想いをかきはじめるとキリがないのだが、実は僕と同じ時期に、カラオケDJをはじめた人がいる。

 

それはサカナクションの山口一郎さんだ。

 

まさに僕がカラオケDJをひらめいた同時期にこんなイベントを開催しているのだ。


サカナクション山口一郎、カラオケ館ジャック 音楽業界の未来を語る


奇跡的な偶然だ。僕は一方的に「同志」だと思っている。

 

最後に彼の名言を紹介して終わろう。


インタビュアー:クラブを営業する場合は、風俗営業法の許可をとらないといけない。一方、カラオケ店は必要ありません。カラオケ店でクラブイベントをやってしまうというのは、硬直化した法制度を揺さぶり、攪乱するような試みで興味深いです。
 
山口一郎さん:完全に汽水域(河川などで淡水と海水が混ざり合う水域)ですよね。音楽ビジネス的な観点からすると、CDやレンタルの売り上げが年々減少するなかで、カラオケは伸びている。音楽を好きな人の発散の場として大衆化されているし、生活の一部になっていると思います。面白いですね。

 

試したくなった人はカラオケへGO。お店によっては音響配線いじることが禁止されてることもある。いい大人のみなさんは、くれぐれも自己責任で。