おれは 仙台生まれ 転勤族育ち クラスのやつは全員はじめまして。

初めて出会った人に聞かれる「出身はどこ?」っていう質問に、けっこう困る。

その質問に意味どおり答えるのなら僕は「仙台出身」だ。仙台の動物園の近くの病院で生まれた。出産時「頭がでかいから」ということで掃除機みたいなもので吸い出されたらしいが、もちろん記憶はない。

そして、物心つくかつかないかくらいで仙台を離れる。3歳から小学校1年生までを青森で過ごし、小2は札幌、小3は仙台に戻ってきて、小4〜6の3年間は広島だ。中学・高校の6年間は名古屋で過ごし、大学入学とともに東京に引っ越し、10年が経った。

親父は大手メーカーの営業職だった。日本全国の営業所を「昇格」とともに飛び回る。親父が会社から「転勤だ、頼んだぞ」と言われるたびに、母親と一人っ子の僕は涙を飲んだ。そう、それがサラリーマン家庭ってもんだ。幼い頃から、我ながらよく理解していたと思う。

「出身はどこ?」という質問は「あなたの地域的なアイデンティはどこ?」という質問なのだろうが、僕の場合、そんな事情があり簡単には答えられない。仙台生まれ、転勤族育ちだ。

さて、転勤族で育つと、どういうことが起きるのか?

端的に言うと、大人になったときに「地元」と呼ばれるものが、ぽっかり存在しない。

夏になったら帰る場所、成人式を挙げる場所、幼馴染のいる場所。

そういったものが、転勤族で育つと、全くない。

もうちょっと硬い表現をすると、生まれたり育った地域と自分の関係性が極めて薄く「生まれた場所」ということだけで属するコミュニティもないのだ。

なんだか悲しい話になってきたのだけど、議題にあげたいのはそんな「転勤族」に生まれたからこそ育まれる人格の話だ。


会社員の「転勤」というのは、家族からすると「知らない土地にいきなりぶち込まれる」という表現でも言い換えられる。

僕は小学生時代に「転校してきたウエハラです。よろしくお願いします。」と3回も挨拶した。

転校初日、目の前の教室には、誰ひとりとして友達がいない状況。サッカーのアウェー戦でも観客を除けば選手は同数だというのに、転校の場合は30対1のキックオフだ。

「すでにそこにあるコミュニティになんとか溶け込まないと居場所がない」という状況を何度も経験した。そして、そのたびに乗り越えて、また僕が転校するという時には、少なくない友人が別れを惜しんでくれた。

ここまでを誰かに話すと「だからウエハラくんは、人とのコミュニケーションが上手なんだねぇ」と言われることがある。

嬉しい言葉だ。一方で、子供の頃からそのスキルを伸ばさないと、誰も友達のいない教室では生きていけなかった、という背景もある。

「コミュ力」というスキルを身につけさせてくれた「転校」という体験。

「また転校してみたい?」という質問が寄せられたのならば、ものすごく素早く、そして力強く答るだろう。「絶対にイヤ」だ。

いいことも多かったので、呪いたい過去とまでは思わないけど、あんなに骨の折れるコトは願わくばしたくないのだ。

おとなになった今でも無意識的に「どこかのコミュニティに新参者として混ざっていく」ということを強く避けている。僕にとってそれは「転校」と同じ体験なのだ。

その代わり「転校」とは真逆のアプローチである「自分のまわりにコミュニティをつくる」ということについては、人の1000倍くらい力を注げる。僕にとって、こんなに居心地のいいことはないのだ。88世代の集まりも、武蔵小山の集まりも、そういうモチベーションが源泉になっていると去年くらいに気づいた。

一度、そんな僕の日頃の取り組みに対して、友達に「病的なほどの情熱があるよな」と言われてハッとしたことがある。

でも、それこそが転勤族の家庭で育った植原正太郎の宿命なのだと思う。

みんなのまわりでも「こいつよく自分でコミュニティ(居場所)つくってるよなぁ」っていう友達は、転勤族育ちの可能性は高い。

転勤族育ちとコミュニティ屋さんの関係は、あまり語られていないので、どこかで同士と語ってみたいものだ。

そのトークイベントに「1時間」の価値はあるのか?

ご飯とお喋りと、そこそこお酒。