「どんな働き方?」より「どう社会に働く?」

「どんな働き方?」より「どう社会に働く?」

この数年、「働き方」というテーマのもとに、様々なメディアやイベントで議論がなされている。ひとくちに「働き方」といってもそこに含まれるキーワードは豊富で、長時間労働の是正、リモートワーク、副業、育児とのバランス、評価基準などさまざまな切り口がある。

 

昭和由来の就業規則で従業員のパフォーマンスが落ちるのならば、どんどん改善されるべきだと思う。

 

一方、一般的に議論されている多くの内容が「働き方の手法や形式」の話だ。どのくらいの時間を働くのか、どんな場所で働くのか、といったことだ。

 

以前から、働き方をテーマに話される時のアジェンダ自体に、そこはかとない薄さを感じていたのだが、そんなことをバチっと言い当ててくれたのがNueの松倉早星さんのブログだ。

 

「働き方」と聞くと、例えば朝6時に起きて、コーヒーを飲み、今日のタスクを把握して、仕事を開始し、夕方には家で子供と食事をとり、寝る前には勉強しますなんてことや、都会を離れ田舎で商いを行い、ゆったりとした時間と風景の中で働いてます、とか。そのどちらも働き方ではなく、スタイルの違いであって、働き方の本質はもっと手前にある気がしている。
 
僕たちが働くのは、社会にコミットするためである。自分が生み出せるもので誰かに利益をもたらし、自分にも見返りがある。それで飯を食い、子を育て、生きていく。大事なのは僕らが提供するものは「働き」であって、「方(かた)」は二の次である。方はあなたらしくあればいい。それでいい。むしろ、どう「社会に働くか」が重要だ。

引用:新しい働き方ってなんだろう。

 

「働く」と「社会」の関係を、気持ちよく表現してくれている。

 

「どう社会に働くか」というフレーズで思い出すのが、2010年頃の社会起業家&ソーシャルビジネスブームだ。

 

僕は当時、大学2年生の2回目をしていた頃。大事な試験の時間割を間違え留年して、失意のどん底にいるときに「社会起業家」という存在を知った。それは駒崎さんの本であり、週刊ダイヤモンドの特集だった。

 

それまで「働く」というのは「会社に就職して、定年まで会社に貢献する」ことだと思っていたのだが、そんな考え方が「どんがらがっしゃん」と音を立てて崩れる体験だった。

 

「働くということには、ミッションや解決すべき社会課題があるべきだ」というのが、当時の彼らが発信したメッセージだったと思う。

 

僕はそのままメッセージを受け取り、気づいたら二社目でNPOのフルタイムスタッフになり、3年が経っている。

 

そして今の時代、「社会に働く」ということは、個人でも企業内でも行いやすくなっていると思う。「社会起業家」は当時、カウンターカルチャーのような存在だったが、今ではもっとマイルドになってみんなのベースの考え方として浸透してきていると感じる。

 

「働き方改革」全盛の時代、「働く」ことのそもそもの意義について咀嚼し直すことも大切なのかもしれない。

お家のでんきを変えた話

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脳みそ(心)を整えるために、体を整える。

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