『コミュニティ経営』を志す。 by Shotaro Uehara

どうも、コミュニティ経営・見習いの正太郎です。


2018年は自分の挑戦の場が、ぐんと広がった一年でした。特に大きかったのは、NPO法人グリーンズの組織の変化に伴い、4月に事業統括理事(2代目)に就任したことでした。


自分の決断というよりも流れに任せるままに「理事就任」。その響きがとても大げさで、自分でもうまく解釈できず「そもそも自分の役割ってなんだろう?」「自分の価値ってなんだろう?」ということを自問自答してきました。


そんな中、とある考え方に出会います。


株式会社ツクルバの中村真広さん(@maa20XX)が探求している「コミュニティ経営」という考え方です。


コワーキングスペース事業「co-ba」に始まり、最近では急成長中の中古リノベ物件事業の「cowcamo」を手がけているツクルバ。中村さんは新しいチャレンジとしてコミュニティコイン「KOU」も手がけられています。

事業性のみならず、チームワークや組織の文化づくりについても数多の試行錯誤の上に経営されているツクルバの中村さん。そんな彼を、グリーンズの学校の「コミュニティの教室」という授業に、講師にお招きした回で、

ツクルバは「組織文化としてのコミュニティ型アプローチ」と「事業手法としてのコミュニティ型アプローチ」を目指している。


という経営哲学を聞き、


バリバリバーーーーーンッッ!!!!


という雷鳴が僕の脳みそに轟きました。なるほど、僕が目指すべき方角はここかと、腹落ちしました。


振り返ると2018年は、僕にとってコミュニティ的な活動の実践と学習を深める一年でした。


その結果、「コミュニティとは、場や価値観に集う人が、お互いの幸せを生み出すための関係性のこと」という言葉に行き着きました。


そして、その実践の場としてふさわしい難易度なのが、会社・組織、つまり「経営」なのでは?と行き着きました。


社内のスタッフはもちろん、社外の仲間も含めた幸福を関係性によって生み出していくこと。そのためには、組織づくりはもちろんですが、会社・団体としての社会性も、持続的に進化するための事業性も重要になります。


年始に考えたこの僕なりに解釈した「経営」を、「コミュニティ」という視点を重視しながらアップデートしていきたい。

これを「コミュニティ」でアップデートしていきたい。

これを「コミュニティ」でアップデートしていきたい。

現在30歳。30代で探求していきたいテーマを見つけることができました。


特に20代で経験を積んできたNPO・社会企業の領域での「コミュニティ経営」のあり方を特に模索していきたい。


まずは「見習い」として、経営について様々なことを学びながら、目の前のことで実践していきたいと思っています!このブログも「コミュニティ経営」を探求していくために運用していきます。

ご縁に感謝しない人は誤嚥しましょう by Shotaro Uehara

日々暮らしていると「自分って心狭いな」って思うことがある。広い心では許せない出来事がたまに起こる。

 

その多くは他人の些細な振る舞いが起因になっている。

 

僕がなかなか許せない他人の振る舞いは3つあるのだが、その1つは「ご縁に感謝しない」振る舞いだ。

 

こんな仕事をしてると交友関係も広いので「うえはらくん、あの人紹介してほしいんだけど!繋がってるんでしょ?」と相談を受けることがある。

 

僕を信頼して相談してくれること自体は大変嬉しいことだ。訳わかんない内容じゃない限り、その人の力になれればと紹介して繋ぐこともする。良いご縁になれば、という一心しかない。

 

だが、問題はこのあと発生する。

 

繋いだあとに、一切音沙汰が無いのだ。

 

「そのあとどうなったのかしら」と結果が気になる。

 

「紹介をきっかけになにか粗相が起きなかっただろうか?」と要らぬ心配もする。

 

しかし、こちらから連絡するのも何かお門違いな気がするので、ひたすらヤキモキするしかない。

 

結局、何も連絡がなく未解決事件のままXファイル入りすることも多い。

 

そんなことを何件か繰り返した結果、僕はこういう事案については根に持つ人間だということが分かった。申し訳ないが、絶対に忘れない(笑)

 

「二度と人を紹介してやらん」と心に固く誓う。

 

「人を紹介してもらう」ということは「紹介者の信頼を借りる」ということだ。

 

無形だからって「タダ」ではない。信頼という通貨を借りるようなものだ。

 

関係を築くということに、時間と努力を重ねている。

 

それをファストフードのようにパクパク食べて「ご馳走さま」も無いのだ。そりゃ怒るでしかし。

 

僕が求めているのはお礼のお中元でもお歳暮でもない。

 

「紹介してくれてありがとう。」の事後報告の一言だ。

 

別に話が実らなくてもいい。取り立てて共有すべき事柄がなくてもいい。

 

ご縁に敬意を払って、ちゃんと感謝してくれさえすれば安心して眠れる。

 

嗚呼、ここまで書きつつ、自分も色んなご縁の中に生きていることを振り返る。誤嚥しないように気をつけて生きたい。

PDCA回せる石の上で三年 by Shotaro Uehara

グリーンズにジョインして3年4ヶ月経った。

 

新卒で勤めた会社は2年半で卒業したので、社会人歴の中でもグリーンズが長い訳だ。

 

そしてここ最近、自分にできる仕事が増えているのを感じる。3年前に見えていた風景とはまったく違う。

 

丸3年間、様々な試行錯誤により、組織やステークホルダーへの解像度は上がり、社会から求められていることも把握でき、人間関係も豊かになり、自分の知見やノウハウも充実してきたということなのだろう。

 

3年という数字で思い出すのは

 

「石の上にも三年」

 

という諺だ。良いこと言ってる気もするけど、現代においてはピンボケ感もある。

 

Google先生にその意味を聞いてみると

 

『冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる。 がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ。』

 

とのことだ。色々ツッコミどころが多い。

 

「3年間、石に座り続けた人間がいる」という事実も怪しいし「お尻の体温で石が暖まる」って可愛いし「座り続けた先の成功」って何やねん。

 

まぁ、それはおいといて「3年」という時間についてはなんとなくうなづけるのだが、「我慢強く辛抱すれば成功する」というのが納得いかない。

 

この表現からはなんとなく年功序列型社会の香りがするし、パワハラ先輩の気配を感じる。(穿ち過ぎ?)

 

現代において「辛い中でも我慢し続ける」という処方箋の効能はほとんどないだろう。

 

これだけ職についての選択の自由が許される時代においては「我慢する」ことよりも、自分のフィールドでチャレンジして「PDCAを回す」ことの方がよっぽど成功に繋がるのではなかろうか。

 

自分の頭で考えて、実行して、失敗して、たまには成功して、次のアクションに活かす。

 

この試行錯誤のループを回せる職場であり、ポジションであり、業界にいることが、大事だ。同じ3年でも成長の質が大きく異なる。

 

だから現代的には、ただただ鎮座できる石を探すのではなく、自分でPDCAを回せる石の上を探すべきだと思う。

 

(書き終わって思うのは、諺を引き合いにして書くブログはおっさん臭いね)

どうぶつの森が理解できない男子 by Shotaro Uehara

アプリゲームになって再ブレイクを果たしているどうぶつの森。

 

最近は、電車内の女性のスマホをちらっと横目に見るとプレイしている人が多くいる。そして、我が妻も熱心に取り組んでいる。

 

キャンプ場の動物たちにこまめに話しかけて、他愛のない会話をして、備品を拡充して、みんなに居心地のいい場所をつくる。

 

今も昔もどうぶつの森は、究極の平和ゲームなのである。穏やかな日常を大切にしながら暮らすのだ。

 

頭では分かる。

 

しかし、男子には心で理解ができない。

 

僕がゲームに対して思った要望にも近い疑問はいくつもある。

 

天変地異の災害で未曾有の大惨事引き起こせよ?

 

キャンプ場ならゾンビが群れをなして来いよ?

 

酒池肉林の宴でロマン見せてくれよ?

 

森の中で武術を磨いて格闘させてくれよ?

 

権謀術数の策略で覇権争いさせてくれよ?

 

今後、どうぶつの森がどれだけアップデートされようが、上記の仕様が盛り込まれることは永久にないだろう。男子の声は任天堂に届かない。

 

妻が嬉々としてキャンプ場設営に力を注いでいるのを見ながら思い出したことがある。

 

「ゴレンジャーとシルバニアファミリー問題」である。

 

子供の頃から、女子にはゴレンジャーは理解できないし、男子にはシルバニアファミリーが理解できない。

 

親から教育された覚えはないのだが、お互いが、お互いに熱中するものの楽しさがわからないのだ。

 

この問題について2年前くらいに真面目に考えたのだが、やはり古代から引き継がれ、プリインストールされている男女の性格があるという結論に至った。

 

氷河期時代、男衆はマンモスを狩りに行き、女衆は村で子供を育て村を守っていた。それが、その時代の男女の役割。

 

噛み砕けば、男子は問題解決、女子は和平維持がもともと得意なのだろうと思う。

 

どうぶつの森から、だんだんと話が壮大になってしまったが、僕が言いたいのは「男は稼いで、女は家を守ろう」みたいな前時代的な話ではなく、これからの時代は、男女の互いの特性を理解して、社会をつくるべきではないかという話だ。

 

そう、特に男子が。「男子が女子を理解する」ことについては、大変長らくおざなりにされていることだと思っている。女性達は男性的な振る舞いをしてくれているが。

 

世の中のあらゆる社会問題/国際問題を引き起こしてるのは男子だと思う。男子の問題解決が、新しい問題を生んでいるとすら思う。

 

これからは「女子が男性的な振る舞いで社会に参加する」という時代から、「男子が女性的な振る舞いで社会に参加する」ということが求められていると思う。社会の未開拓領域だ。

 

大事にすべきは、対話であり、コミュニケーションであり、感情であり、和平であり。

 

話が長くなってしまったので、今日はここまで。

 

まぁ、言うは易しでございまして、週末も妻のウェディングドレス選びに付き合ったのですが、相手の気持ちを慮らない不用意な発言を2度もして機嫌を損ねさせたのは私です。難しいね!

 

まずは、どうぶつの森をインストールするところからやり直したいと思います。

人が習慣をつくり、習慣が人をつくる by Shotaro Uehara

高校時代に先生から教えられたコトはだいたい忘れるが、一部のコトは大人になってからふと思い出し「いいコト言ってんな」となることがある。

 

数学の田口先生が教室の壁に張り出していた家訓のような言葉

 

「人が習慣をつくり、習慣が人をつくる」

 

30歳を手前にして、反芻するに値する言葉だなと気づいた。

 

当時、この言葉は「勉強習慣をつくれ」という程度のメッセージに捉えていたが、もっと深い意義があるように思う。

 

20代前半の「勢い」だけで乗り切れる時期を終えて、いま最も関心が高いことは「毎日ムラなくパフォーマンスを出すこと」だ。

 

1DAYしかもたない120%のパフォーマンスも、ALL DAY続く80%のパフォーマンスがほしい。

 

そのためには、日々のモチベーションや体調を自らコントロールする必要がある。

 

しかし、意思だけでコントロールするのは難しいものだ。

 

最近分かったのは、自己コントロールのために「習慣」というソリューションがあるのだと。

 

習慣というのは「日常の決まりきった行い」とWikipedia先生が言っている。

 

この決まり切った行いによって、頑張り過ぎや、頑張らなさ過ぎを是正することができると思う。

 

去年の春くらいからそんなことを意識して、自分自身で習慣化できたものにはこんなものがある。

 

・帰宅後、家では一切仕事をしない(職場で終わらす)

 

・4-5kmのランニングを週2回

 

・500-700mのスイムを週1回

 

・毎朝ナチュレヨーグルト食べる

 

・毎朝自重トレーニングする(腕立て100 腹筋120 スクワット60)

 

・冬は銭湯に週2回行って交互浴

 

・寝る前に水たくさん飲む

 

・寝る前にストレッチ

 

・電車に乗ったらブログ書く

 

全体的に健康オタクっぽい習慣になってしまったが、おかげさまで毎日体調がいいし、いまだに風邪も引いていないし、毎日脳も冴えてるし、仕事にも暮らしにもパフォーマンスを発揮できている。

 

この調子でいけば、今年はなかなか充実する気がする。そして、もうひとまわり成長できるだろう。

 

「人が習慣をつくり、習慣が人をつくる」

 

今年は、習慣オタクとして、マイ習慣をどんどんアップデートしていこうと思う。

後輩を育てたいなら「機会提供とサポート」おじさんになろう by Shotaro Uehara

30歳を目前に控え、仕事においても自分のことばっかり考えてればいいという感じでもなくなってきた。

 

そう、後輩を育てるという重要なミッションが芽生えてきたのである。

 

 

「後輩/部下を育成する」というテーマにおいては、それぞれに持論があることだろうが、僕は「機会提供とサポート」が全てだと思っている。

 

後輩がのびのびとチャレンジできる機会を提供しつつ、彼らが目標達成のために現時点では足りない知識やスキルを、先輩が必要に応じてサポートしていく。

 

そういう「機会提供とサポート」に注力していれば、自ずと後輩は育つものだと思っている。

 

 

日本的な慣習で「人は怒られたり、ビシバシしごかれるから成長する」という考え方もある。

 

全てを否定するつもりはないが、見誤っている部分は大きいと思う。

 

 

人が成長するのは「学習する」からである。

 

学習するというのは、自分の脳みそで考えて、自分の身体を使った時に、はじめて達成できる。

 

自分の中での試行錯誤なしに学習は成り立たない。

 

学習することで、次のチャレンジに取り組むことができ、新しい学習ができるのだ。

 

 

前述の不用意な厳しい指導の無意味さを例えるなら、子供がチャリンコの乗り方を学ぶのに、親が乗り方の作法や姿勢を厳しく叱責して、萎縮してしまう状況だろう。

 

これでは気持ちよくチャレンジできなくなるので、いつになっても乗れるようにならない。

 

 

それよりも、親は子供を広い公園に連れて行って、どんだけでも転べる環境を用意し、たまに「目線は前に送るんだよ」と一言アドバイスして、あとは自由にやらせておけば、勝手に乗れるようになるというものだ。

 

 

30歳手前にしてそんなことを思うのは、自分自身が「成長した」と手応えが感じられる過去の経験は、だいたいにして先輩から「機会提供とサポート」をもらったことに基づいてると気づいたからだ。

 

 

その話をすると思い入れが強くなって長くなるので今回は省くが、僕が若かりし頃にお世話になった「機会提供とサポート」おじさんを感謝の気持ちを込めて記しておきたい。

 

イケダハヤトさん、モリジュンヤさん、ETIC. 内野夫妻、日本ブラインドサッカー協会 松崎英吾さん、前職社長 池田紀行さん。

 

 

彼らにいただいた機会提供とサポートの分だけ、自分の後輩に返していきたいと思う30歳手前のおじさんなのでした。

SNS時代の縁結びの難しさ by Shotaro Uehara

SNSのおかげでこれだけ人が繋がるようになったのに、なぜ「周りにいい人がいない」という問題が立ち上がるのか。

 

僕たちは、親の世代と比べれば、圧倒的に交流する人の量が多いはずだ。

 

なのに、恋愛したり結婚したりするのに「周りにいい人がいない」という現象が起きる。

 

この状況は俯瞰的に見れば、不思議な話だ。

 

例えるなら、森の中にどんぐりがたくさん落ちてるのに「どんぐりが無い!」と叫んでるリスのようだ。

 

しかし、状況や現象には必ず理由があるはず。

 

今日は、僕がなんとなく思っている仮説を話したいと思う。

 

 

まず「いい人」という曖昧な表現の定義から始めなくてはならない。

 

今も昔も「いい人」というのは「ピタッと来る人」のことを指すのだと思う。

 

馬が合う、フィーリングが合う、気になるポイントが似てる、趣味が近い...etc

 

今も昔も、そんな「いい人」を探しているはずだ。

 

 

ただ、今と昔で大きく違うのは「価値観の多様性」だろう。

 

親の世代と言えば、テレビ全盛期。社会全体として画一的な"憧れ"があった時代だ。

 

みなさんの両親ともに若かりし頃はもれなく、父親は七三分け、母親は聖子ちゃんカットを施していたはずだ。

 

そして、ファッションだけでなく、理想の暮らしも画一的だった。

 

経済成長の中で安定した企業に入り、子育てして、家買って、定年まで働いて、退職後は年金で悠々自適な暮らし。

 

つまり、親の世代は「こんな生き方、暮らし方がいいな」という価値観が、万人でなんとなく合意されていた時代だ。

 

それが、かつての一億総中流社会。

 

 

しかしながら現代は、登り調子な社会ではないので、画一的な理想が保障されるわけもない。

 

だからこそ、みんなそれぞれに働き方や暮らしを模索し、それぞれに価値観を育てている。

 

そして、それに拍車をかけるように、インターネットやSNSの普及のお陰で、多様な価値観が認められる環境がある。

 

そう現代は、社会で生きていくために、一人一人が拠り所とする価値観があるのだ。

 

 

そんな状況の中で「いい人=ぴったり来る人」を探すというのは難儀なものだ。

 

価値観が普遍的な時代は、誰かが勝手に引き合わせる「お見合い」という画期的ソリューションがあった。

 

現代では、お見合いでぴったり来る相手が見つかるなんて、1km先の針の穴に投げた糸を通すようなものだと思う。

 

 

そんな時代に生まれ育った僕たちは、どうやったら「いい人」に巡り会えるのか。

 

この問いの方がよっぽど難しい。

忘年会シーズンに「カラオケDJ」という提案 by Shotaro Uehara

DJの練習をはじめてから3年が経つ。

 

といっても、ホームパーティー的な場所でしかプレイしたことがないし、高い機材もいまだに買わずに「PC+DJコントローラー」という装備なので、”にわか中のにわか”である。

 

ただ、そんな僕でも自信があることがある。

 

「カラオケDJ」という遊び方を思いついたのだ。

 

「カラオケDJ」とは「DJしながらみんなで歌う」ことではない。

 

「カラオケルームの音響の配線をいじり、部屋のスピーカーを使ってDJをすること」だ。

 

思いついたのは2年前。

 

音響、ホスピタリテイともに国内最強のカラオケ「カラオケベスト10 武蔵小山店」でいつもの仲間たちと、いつものカラオケに興じていた夜。

 

ふと思いつき、カラオケマシンの裏側を覗いてみると、おなじみの赤白端子のオーディオケーブルを発見したのだ。

 

「もしや、これを差し替えればスピーカーをHackできるのではないか?」と閃き、たまたま持っていた機材を繋いでみたところ、案の定、カラオケルームから音が出たのだ。

 

この感動は、エジソンが白熱電球に初めて光を灯した時に感じたものと同じだっただろう。

 

そこから仲間たちと夜な夜なカラオケルームでDJをして、聴きたい曲をかけ、お酒を飲みながら踊る習慣が生まれた。

 

カラオケDJというアイデアが優れている点は、いくつもある。

 

1つ目。完全なプライベート空間なのだ。クラブに行けば知らない怖いお兄ちゃんやお姉ちゃんがいるものだが、カラオケDJには気を許した仲間しかいない。

 

2つ目。へたくそDJでも許される。DJの練習しはじめの頃は、自宅ではなかなか大きな音が出せないし、かと言っていきなり箱でプレイするほどの力量はないものだ。しかし、カラオケDJなら、どれだけしくじっても友達が笑って許してくれる温室栽培なのだ。

 

3つ目。安く済む。クラブに行けば、エントランスでお金がかかったり、ドリンクも値が張るものばかりだが、カラオケDJなら部屋代だけで済むのだ。「カラオケベスト10」は夜でも10分100円だ。1時間いても一人600円で済む。経済的だ。

 

カラオケDJへの想いをかきはじめるとキリがないのだが、実は僕と同じ時期に、カラオケDJをはじめた人がいる。

 

それはサカナクションの山口一郎さんだ。

 

まさに僕がカラオケDJをひらめいた同時期にこんなイベントを開催しているのだ。


サカナクション山口一郎、カラオケ館ジャック 音楽業界の未来を語る


奇跡的な偶然だ。僕は一方的に「同志」だと思っている。

 

最後に彼の名言を紹介して終わろう。


インタビュアー:クラブを営業する場合は、風俗営業法の許可をとらないといけない。一方、カラオケ店は必要ありません。カラオケ店でクラブイベントをやってしまうというのは、硬直化した法制度を揺さぶり、攪乱するような試みで興味深いです。
 
山口一郎さん:完全に汽水域(河川などで淡水と海水が混ざり合う水域)ですよね。音楽ビジネス的な観点からすると、CDやレンタルの売り上げが年々減少するなかで、カラオケは伸びている。音楽を好きな人の発散の場として大衆化されているし、生活の一部になっていると思います。面白いですね。

 

試したくなった人はカラオケへGO。お店によっては音響配線いじることが禁止されてることもある。いい大人のみなさんは、くれぐれも自己責任で。

数字で見るWebマガジン「greenz.jp」の寄付事業 by Shotaro Uehara

たまには仕事の話をば。

 

誰でも無料で読めるWebマガジン「greenz.jp」が「読者から寄付をいただいて、メディア運営を支えてもらおう」という奇妙なチャレンジを始めたのは2013年2月。

 

2006年7月のメディア創刊から6年半後の決断。法人形態も、わざわざ株式会社からNPOに鞍替え。知る人は知っているが、greenz.jpのメディア運営は、経営的にも仕組み的にも"大きな"試行錯誤のもとに成り立っているのだ。

 

僕が寄付事業の担当スタッフとしてジョインしたのは2014年10月。気づけば丸3年も経った。

 

(勘違いされてる方も多いかもしれないが、僕の本職は「イベント屋さん」ではなく「寄付集め屋さん」ですw)

 

最近、イベントやセミナーで「Webマガジンの寄付事業」の紹介をさせていただく機会も増え、そこそこ驚きを持って聞いてくださる手応えも感じている。

 

ということで、本日はWebマガジン「greenz.jp」の寄付会員事業を「数字」で紹介してみようと思う。


まずは簡単な説明。

greenz.jpの寄付会員事業は「greenz people」というタイトルでやっている。記事や連載の制作のために毎月1,000円を寄付いただく読者を募っている。そして、僕たちはそんなありがたい寄付読者の皆さんを、愛を込めて「ピープル」と呼んでいる。またNPOにとっての寄付事業は、収益事業とは異なり、法人税などの課税対象にはなりません。そのためいただいた寄付金を自分たちの事業にそのまま活用することができます。


会員数は「855」名。

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2013年2月の開始から、じわじわではありますが、着実に会員数は増えている。先月末時点で855名。「1000」名の大台も見えてきた!


寄付金額は毎月「829,000」円。

「月会費×会員数」の金額は80万を超えました。年間でいうと1000万円弱ですね。厳密にいうと、決済システムの手数料や、残高不足や有効期限切れでクレカ決済できないケースがあるので、グリーンズの口座に振り込まれる金額はこれの8掛けくらいなのですが。

 

ちなみに、金額と人数の内訳はこんな感じ。

月 3000円:7 名
月 2000円:13 名
月 1000円:727 名
月 750円:4 名
月 500円:104 名

補足:2013/2〜2014/12までは「年会費6,000/9,000円」で募っていたのですが、2015年から「月会費1,000円」で新規入会受付に切り替えています。そのため会員の中には月額500円、750円で継続してくださっている方も含まれておるのです。


寄付を原資に制作した記事は「122」本

直近1年でgreenz.jp上で公開された記事は「346本」なのですが、35%にあたる「122本」が寄付をもとに制作した記事です。ライターさんの原稿料+取材経費、エディターさんの校正費などに寄付が充てられております。ピープルの皆さんの寄付なしには、メディア運営できないほどになっています。


というわけで、数字としてご紹介できることはこんなところでしょうか。最後に強調したいのは、これが「有料サービスの会員」ではないということです。NPO法人グリーンズ/greenz.jpの「ほしい未来は、つくろう。」という呼びかけに共感し、応援してくださる読者のあたたかいサポート(寄付)なのです。

 

改めて、日頃からサポートしてくださっているピープルの皆さんに感謝です。そして、一緒に育てているチームのみんな、決済システムやマーケティングの部分でお世話になっているnDのサーファーエンジニア宮本くんにも大感謝。

 

「数字」だけではない取り組みもたくさんしているのですが、その話はまた今度。

 

p.s. greenz people気になる人は入会してね◎ 研究対象としても大歓迎です。greenz peopleの取組みに関する講演や勉強会にも気軽にお声掛けくださいませ!

https://people.greenz.jp/

お家のでんきを変えた話 by Shotaro Uehara

そう、「でんき」を変えたのです。

 

この秋に、家の契約電力会社を「東京電力」から「自然電力」に切り替えた。

 

最近はTVCMや車内広告も多く、知ってる人も増えてるかもしれないけど、「家庭の電気をどこから買うのか決められる」のだ。

 

ENEOSでんき、東急でんき、ソフトバンクでんき、などなど選択肢はたくさんある。

 

感覚的にいえば「スマホのキャリア/SIM選び」に似てるかもしれない。自分の好みの料金や契約内容を探して、切り替える。

 

一方で、スマホのキャリア乗り換えとの違いと言えば「質は均一」だということ。キャリアを乗り換えると通信速度などの「差」があるのだが、電力会社は乗り換えたからといって電力の供給量が落ちたりすることはない。

 

2016年に始まった電力小売り自由化のおかげで、通信キャリアやインターネットのように、日々使うインフラを個人が選べるようになったのだ。

 

新電力各社ともに「今よりもお得に」が売り文句だが、今回、僕が選んだ「自然電力」はまったく「お得」ではない。

 

契約時にデポジット5000円を取られるばかりか、月々の電気料金も500円くらい値上がる。

 

家庭の経済的メリットだけ考えれば、不合理極まりない。

 

しかし、自然電力は「みんなで自然エネルギー100%の世界をつくる」ことを目指した電力会社だ。日本の各地に太陽光、風力、小水力発電所をつくって、その想いを実現しようとしている。

 

すこしばかり電気料金が上がったとしても、そのチャレンジに参加したいと思って切り替えたのだ。

 

greenz.jpでも彼らを応援する連載が始まっている。

 

ぼくは「脱原発!原発反対!」と声高に叫ぶタイプの人間ではないが「無い方がいいに決まってる」と思ってる。

 

 同時代で「大きな事件」を体験した人間として、子どもたちの世代にそのリスクを引き継ぐ理由はどこにもないように思う。

 

そうは言っても、3.11以来、これと言ってエネルギーに関して個人的なアクションが出来ていなかったことも事実だ。

 

我が家の電気を変えたくらいでは大海の一滴だろうけど、棺桶に入る直前まで支払うだろう電気代を、少しはマシな社会をつくるために払いたいのだ。

 

「”買う"は消費ではなく、未来への投資」と誰かが言ってたけど、いい言葉だ。

 

そんなわけで「自然電力のでんき 」に関心を持った人はサイトを覗いてみてね。

 

 あと、付け足すとするなら電力会社の切り替え手続きは実は超簡単です。スマホのキャリア乗り換えよりも簡単です。わざわざキャリアに「お別れの電話」をしなくて良くて、手元に電気料金の明細があれば、切り替え先の電力会社へのオンライン手続きだけで完了します。スムーズにいけば10分くらい。無知な僕は、配電盤操作とか電柱からの引き込みとかしなきゃいけないもんだと思ってた。笑

「どんな働き方?」より「どう社会に働く?」 by Shotaro Uehara

この数年、「働き方」というテーマのもとに、様々なメディアやイベントで議論がなされている。ひとくちに「働き方」といってもそこに含まれるキーワードは豊富で、長時間労働の是正、リモートワーク、副業、育児とのバランス、評価基準などさまざまな切り口がある。

 

昭和由来の就業規則で従業員のパフォーマンスが落ちるのならば、どんどん改善されるべきだと思う。

 

一方、一般的に議論されている多くの内容が「働き方の手法や形式」の話だ。どのくらいの時間を働くのか、どんな場所で働くのか、といったことだ。

 

以前から、働き方をテーマに話される時のアジェンダ自体に、そこはかとない薄さを感じていたのだが、そんなことをバチっと言い当ててくれたのがNueの松倉早星さんのブログだ。

 

「働き方」と聞くと、例えば朝6時に起きて、コーヒーを飲み、今日のタスクを把握して、仕事を開始し、夕方には家で子供と食事をとり、寝る前には勉強しますなんてことや、都会を離れ田舎で商いを行い、ゆったりとした時間と風景の中で働いてます、とか。そのどちらも働き方ではなく、スタイルの違いであって、働き方の本質はもっと手前にある気がしている。
 
僕たちが働くのは、社会にコミットするためである。自分が生み出せるもので誰かに利益をもたらし、自分にも見返りがある。それで飯を食い、子を育て、生きていく。大事なのは僕らが提供するものは「働き」であって、「方(かた)」は二の次である。方はあなたらしくあればいい。それでいい。むしろ、どう「社会に働くか」が重要だ。

引用:新しい働き方ってなんだろう。

 

「働く」と「社会」の関係を、気持ちよく表現してくれている。

 

「どう社会に働くか」というフレーズで思い出すのが、2010年頃の社会起業家&ソーシャルビジネスブームだ。

 

僕は当時、大学2年生の2回目をしていた頃。大事な試験の時間割を間違え留年して、失意のどん底にいるときに「社会起業家」という存在を知った。それは駒崎さんの本であり、週刊ダイヤモンドの特集だった。

 

それまで「働く」というのは「会社に就職して、定年まで会社に貢献する」ことだと思っていたのだが、そんな考え方が「どんがらがっしゃん」と音を立てて崩れる体験だった。

 

「働くということには、ミッションや解決すべき社会課題があるべきだ」というのが、当時の彼らが発信したメッセージだったと思う。

 

僕はそのままメッセージを受け取り、気づいたら二社目でNPOのフルタイムスタッフになり、3年が経っている。

 

そして今の時代、「社会に働く」ということは、個人でも企業内でも行いやすくなっていると思う。「社会起業家」は当時、カウンターカルチャーのような存在だったが、今ではもっとマイルドになってみんなのベースの考え方として浸透してきていると感じる。

 

「働き方改革」全盛の時代、「働く」ことのそもそもの意義について咀嚼し直すことも大切なのかもしれない。

脳みそ(心)を整えるために、体を整える。 by Shotaro Uehara

マインドフルネス、瞑想といったキーワードが話題になって久しいですが、個人的には性に合わない。

 

落ち着きのない子どもとして育ってきた僕は、数分間の沈黙がなかなか我慢できず、習慣にならない。

 

しかし、ストレス社会で生きる人間として、常に心は整えていたいと思う。

 

「心を整える」って表現はなかなか抽象的だが、僕なりには「脳みそを整える」ということで勝手に理解している。

 

目の前の問題に対して落ち着いて対処する指示を出すのは脳みそだし、目の前の人に優しくしようとする感情も脳みそが判断するもの。

 

だから「脳みその健康状態が良ければ、心も落ち着いてるし、日々健やかに過ごせるのでは?」と仮説を持っている。

 

そんな考えに至ったきっかけがこちらの本。

 

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脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方

 

すごいざっくり言えば、

 

アメリカのとある偏差値の高くない中学校で、授業前に毎朝、全校生徒にランニングをさせた。するとびっくり、全米トップクラスの偏差値を誇る学校になった。

 

という驚きのエピソードを皮切りに、脳の動きと有酸素運動の関係について、脳科学的に解説されている本だ。

 

いろんな脳科学の単語が出て来るので、細かい話は全く頭に入ってこないのだが(笑)、ものすごいざっくり言うと

 

有酸素運動すると脳みその血流が良くなり、いろんなものが分泌され、シナプスにとっていい感じの環境になる

 

ということだ。ちゃんと理解したい人は本を買って読みこんでほしいが「運動が脳にいい影響を与える」というのはなんとなく直感でも理解できる話かとは思う。

 

学習能力UPの話だけでなく、ストレスや抑うつに対しても脳みそ×有酸素運動の医学的効果が解説されてる。要は「脳のトラブルは運動で解決できる」ということだ。

 

そんな本に出会った今年の夏から、ダイエットも兼ねて、週1-2回のランニング&スイムをなんとか習慣にして励んでいる。

 

実は春頃に、自分の脳みそのパフォーマンスがガタッと落ちる経験をした。友達の名前のような固有名詞がまったく思い出せなくなるばかりか、伝えたいことがうまく言葉となって出てこない3日間があった。歳のせいもあるかもしれないが、仕事でいろんなことを考えすぎて脳みそがパンク気味だったのだと思う。

 

運動が習慣になってからは、脳みそのキレが良くなったと感じる。おかげで仕事中の作業効率は上がったし、一日通して頭がスッキリしている。イライラ&ザワザワもすることが減った気がする。そう、こうして落ち着いてブログも書けている。

 

プラシーボ効果なのかもしれないが、少なくとも確実に、春よりは脳みそが健康な状況であることは確かだ。

 

超ストレスフルな環境にいる経営者が、トライアスロンなどのハード系有酸素運動に取り組む理由はここにあるのかもしれない。

 

引き続き、脳みそを整えるために、運動していきたいと思う。

#正太郎のチーズバーガー探訪 by Shotaro Uehara

真面目なブログばかり書いててもすぐに飽きることは分かっているので、今日はチーズバーガーの話です。

 

添加物やピンクスライムなどの話題がお茶の間に登場していなかった子どもの頃。それはつまりマクドナルドを何にも考えずに"気持ちよく"食べれていた時代でもある。

 

無邪気なぼくは常にハッピーセットのチーズバーガーを頼んでいた。少し成長してからはダブルチーズバーガーを選んだ。

 

子どもの頃から、肉パティに溶けたチーズが乗っているというその事実だけで何か「有り難いもの」を感じていたのは、ぼくだけではないはず。

 

さすがにもうマクドナルドのチーズバーガーは食べないけど、そんな子どもの頃の思いが、20年の時を超えて噴出したのは11月の頭の出来事。

 

友人の山中康司と「スケボーを(久しぶりに)始めよう」ということで下手くそなりに駒沢公園のパークで練習した。

 

その帰り道にランチで立ち寄ったバーガーショップ「AS Classics Diner」で食べたチーズバーガーが美味すぎたのだ。

 

週末の混み合う時間帯、腕にタトゥーの強面の兄ちゃんたちが修行僧のようにパティを焼き、チーズを溶かし、バンズに挟み、繰り出してきたチーズバーガーが美味すぎたのだ。

 

「これ美味くない?」と3回くらいお互いに確認した。

 

そんなチーズバーガーに出くわし、子どもの頃のあの喜びが脳を駆け回り、スイッチが入ってしまったのだ。

 

この1ヶ月で10軒のチーズバーガーを食べ進めている。目指せ100軒。Instgramで随時更新しているので飯テロに遭いたい人はフォローしてみてください。

 

目標達成のためには目標管理をするのがビジネスマンの基本。都内を中心としたハンバーガー屋さんのリストも作成した。80軒くらいまとめてます。★レビューも併記。「このお店抜けてるよ!」みたいなタレコミ大歓迎です。

 

Google スプレッドシート:#正太郎のチーズバーガー探訪

 

「推しフード」なるものを自分で決めると出先のランチが楽しくなる。普段行かない路地に足を運ぶ機会にもなる。

 

ちなみにこの取り組みは「望月優大さんのカレー」や「ふじたくさんの麻婆豆腐」や「もりえちゃんの酒(これは毛色が違う)」に多大なる影響を受けてることも併せて記しておこう。

 

皆さんも「推しフード」を決めてみるのはどうですか?

そのトークイベントに「1時間」の価値はあるのか? by Shotaro Uehara

この3年くらいで、世の中ではトークイベントがとても多く開催されるようになったと感じる。肌感覚で3倍くらい。平日も週末も、いろんなテーマでいろんな場所で開催されている。

 

かく言うぼくも、仕事でもプライベートでもトークイベントを企画しているので「増やす側」にいることは間違いない。最近は「司会業」としてお仕事を頼まれることも増えてきた。

 

そしてもちろんのこと、トークイベントに一般参加者として会場にいることも多い。

 

トークイベントって、言ってしまえば「ゲストと司会がおしゃべりする時間」だ。

 

そして、当たり前の事実だが、目の前で繰り広げられるトークが「面白い時」と「つまらない時」がある。やってることがシンプルなだけに雲泥の差が出る。

 

しかも、用意された台本を読むわけではないので、その場の空気や、話の展開次第で内容が大きく変わる。後から映像編集ができるわけもなく、ライブ感溢れる「なまもの」だ。

 

参加者として「つまらない」トークイベントに出くわしたときの倦怠感と疲労感は相当なものだ。30分ならまだしも、長い時は90分もの時間、座っている椅子に拘束され、延々と一方的につまらない話を聞かされる。終わった後に「時間を返せ」と思うことも多々ある。

 

そんな時に思い出すのが、LINEの田端さんのコラム『映画監督はなぜ「偉い」と思われるのか?リニアにコンテンツを見てもらえることは今や凄い特権だ』。このコラムは

 

映画監督だけが、CMディレクターや、テレビドラマのディレクターにもないある種のリスペクトを社会から享受している理由は何でしょうか?

 

というお題を時間という視点で考察されているのだが、田端さんの見解はこんな感じ。

 

2時間という時間、お客さんを暗室に入れ、自分自身の「映像世界」を大音量とともに浴びせ続ける(中略)こういった「特権」を有している(時限付きの)独裁的表現者であるがゆえに、映画監督は特権的なクリエイターとして社会から認知され、尊敬を得ているのではないでしょうか。

 

このコラムを当時読んだ時、ひとりで唸った。

 

テレビ番組でも、YouTubeでも、基本的には視聴者に主権がある。つまらなければチャンネルを変えればいいし、好みじゃなければ次の動画を再生すればいいだけだ。

 

トークイベントも映画と似ていて、時間を拘束するタイプのコンテンツだ。主権は企画/司会側にある。

 

なんだったら参加費も、映画館に映画を観に行くチケット代と変わらないことも多い。

 

参加者の限りある時間を拘束するからこそ「そのトークイベントに1時間の価値があるのか」ということは、企画側や司会者はもっとちゃんと考えて、努力して、工夫したほうがいいというのが、最近の個人的な思いだ。

 

これを読みながら「偉そうなこと言ってるけど、お前のあのトークイベントつまらんかったぞ」と思う方がいたら、申し訳ない。笑 ぼくも司会をするたびに「今日はうまくいった」とか「今日はイマイチだった…」と一喜一憂しております。

 

試行錯誤を繰り返し、なんとなく見えてきたトークイベントをつまらないものにしないための僕なりのポイントはこの4つ。

 

・開始前に話の着地点(ゴール)をなんとなく想定しておく

・個別のゲストの魅力を引き出す問いを用意しておく

・参加者の関心と「同期」して司会がどんどん質問する

・参加者もトークに「参加」してもらえる仕組みを用意する

 

まぁ、ゲストの人数やなんかで大きく変わってくるんですが。。この話はまた今度。司会は難しいのです。

おれは 仙台生まれ 転勤族育ち クラスのやつは全員はじめまして。 by Shotaro Uehara

初めて出会った人に聞かれる「出身はどこ?」っていう質問に、けっこう困る。

その質問に意味どおり答えるのなら僕は「仙台出身」だ。仙台の動物園の近くの病院で生まれた。出産時「頭がでかいから」ということで掃除機みたいなもので吸い出されたらしいが、もちろん記憶はない。

そして、物心つくかつかないかくらいで仙台を離れる。3歳から小学校1年生までを青森で過ごし、小2は札幌、小3は仙台に戻ってきて、小4〜6の3年間は広島だ。中学・高校の6年間は名古屋で過ごし、大学入学とともに東京に引っ越し、10年が経った。

親父は大手メーカーの営業職だった。日本全国の営業所を「昇格」とともに飛び回る。親父が会社から「転勤だ、頼んだぞ」と言われるたびに、母親と一人っ子の僕は涙を飲んだ。そう、それがサラリーマン家庭ってもんだ。幼い頃から、我ながらよく理解していたと思う。

「出身はどこ?」という質問は「あなたの地域的なアイデンティはどこ?」という質問なのだろうが、僕の場合、そんな事情があり簡単には答えられない。仙台生まれ、転勤族育ちだ。

さて、転勤族で育つと、どういうことが起きるのか?

端的に言うと、大人になったときに「地元」と呼ばれるものが、ぽっかり存在しない。

夏になったら帰る場所、成人式を挙げる場所、幼馴染のいる場所。

そういったものが、転勤族で育つと、全くない。

もうちょっと硬い表現をすると、生まれたり育った地域と自分の関係性が極めて薄く「生まれた場所」ということだけで属するコミュニティもないのだ。

なんだか悲しい話になってきたのだけど、議題にあげたいのはそんな「転勤族」に生まれたからこそ育まれる人格の話だ。


会社員の「転勤」というのは、家族からすると「知らない土地にいきなりぶち込まれる」という表現でも言い換えられる。

僕は小学生時代に「転校してきたウエハラです。よろしくお願いします。」と3回も挨拶した。

転校初日、目の前の教室には、誰ひとりとして友達がいない状況。サッカーのアウェー戦でも観客を除けば選手は同数だというのに、転校の場合は30対1のキックオフだ。

「すでにそこにあるコミュニティになんとか溶け込まないと居場所がない」という状況を何度も経験した。そして、そのたびに乗り越えて、また僕が転校するという時には、少なくない友人が別れを惜しんでくれた。

ここまでを誰かに話すと「だからウエハラくんは、人とのコミュニケーションが上手なんだねぇ」と言われることがある。

嬉しい言葉だ。一方で、子供の頃からそのスキルを伸ばさないと、誰も友達のいない教室では生きていけなかった、という背景もある。

「コミュ力」というスキルを身につけさせてくれた「転校」という体験。

「また転校してみたい?」という質問が寄せられたのならば、ものすごく素早く、そして力強く答るだろう。「絶対にイヤ」だ。

いいことも多かったので、呪いたい過去とまでは思わないけど、あんなに骨の折れるコトは願わくばしたくないのだ。

おとなになった今でも無意識的に「どこかのコミュニティに新参者として混ざっていく」ということを強く避けている。僕にとってそれは「転校」と同じ体験なのだ。

その代わり「転校」とは真逆のアプローチである「自分のまわりにコミュニティをつくる」ということについては、人の1000倍くらい力を注げる。僕にとって、こんなに居心地のいいことはないのだ。88世代の集まりも、武蔵小山の集まりも、そういうモチベーションが源泉になっていると去年くらいに気づいた。

一度、そんな僕の日頃の取り組みに対して、友達に「病的なほどの情熱があるよな」と言われてハッとしたことがある。

でも、それこそが転勤族の家庭で育った植原正太郎の宿命なのだと思う。

みんなのまわりでも「こいつよく自分でコミュニティ(居場所)つくってるよなぁ」っていう友達は、転勤族育ちの可能性は高い。

転勤族育ちとコミュニティ屋さんの関係は、あまり語られていないので、どこかで同士と語ってみたいものだ。

ご飯とお喋りと、そこそこお酒。 by Shotaro Uehara

最近思うんだけど、みんな、ありきたりなトークイベントに飽きてると思う。一方的に話を聞くような(聞かされるような)イベントは、何かが生まれない感がすごい。

毎日、いたるところでメディアが立ちあがり、イベントも開催されている昨今。「情報」の価値は、そりゃ相対的に落ちるわよ、って思う。仕事でも趣味でもイベントを開催したり、登壇させてもらったりしている身としては、この状況をなんとか打破したいなと日々考えている。正直、僕も飽きている。だから、次の一手を考えている。

それで、最近始めたのが「green drinks 神宮前」というグリーンズのオフィスで毎週木曜日に開催するこじんまちとしたイベントだ。毎回10-15人くらいが参加してくださって、スタッフも参加者も関係なく、1つのテーマをもとに、和気あいあいとおしゃべりする。

昨日開催したのは「和歌山でこんばんは」という企画。「和歌山"勝手"観光大使」を名乗るgreenz peopleの高野さんが、和歌山は色川町の棚田米を土鍋で焚いて振る舞ってくれたり、その他にも梅干しや地ビールをはじめとした特産品に舌鼓を打ったのです。

なんというか「これだな」感があったイベントだった。美味しいご飯とお酒、そしてフラットなお喋りの場。

高い壇上から、一方的に意識の高い話をしなくても、参加者同士がお喋りしてるだけで、その場には学びと笑いが溢れる。そして、人と人のつながりも、しっかりと生まれる。それこそが何よりの「参加してよかった」というお土産ではなかろうか。

「つながり」の時代だとは言え、まだまだ「つながり」のデザインは工夫の余地があると思う。